二条城・西陣エリア、日本京都観光ルート

二条城エリア、大政奉還の舞台となった二条城、祇園祭と関わりの深い神泉苑、歴史を色濃く感じるまちは、京都の日常にも出会える場所。京都の歴史を色濃く感じられる一方で、今の京都人の日常生活の様子も垣間見える魅力あるスポットが、この二条城エリアです。1867年(慶応3年)に江戸幕府15代将軍徳川慶喜が大政奉還を表明した二条城(世界遺産)や、祇園祭とも関わりの深い神泉苑、八坂神社又旅社で古に思いを馳せた後は、少し南へ。そこは、東西に長い三条会商店街。西日本最大級という全長800メートルのアーケードに、昔ながらの商店や町家を改装したカフェ、おしゃれな雑貨店が立ち並びます。すてきな京都土産が見つかるかもしれませんよ。

西陣エリア、応仁の乱で本陣が築かれたことに由来する地名を持つまち、耳をすませば機織りの音が聞こえる西陣織誕生の地。西陣と呼ばれるのは、北区と上京区にまたがる広い地域。1467年(応仁元年)に起こった応仁の乱で、東軍の細川勝元に対して、西軍の山名宗全が堀川上立売付近に本陣を築いたことから、この地名が付けられました。堀川上立売を下がったところにある山名宗全の邸宅跡を訪ねると、西陣の歴史の一端に触れられるかもしれません。全国的、そして国際的に広く知られている伝統工芸品・西陣織が誕生したのもこの地。耳をすますと機織りの音が、あちらこちらから聞こえてきます。今も多くの町家が残っているため、京都らしい町並みも楽しめるエリアです。

二条駅は、京都府京都市中京区西ノ京栂尾町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・京都市営地下鉄の駅である。JR西日本の駅番号はJR-E04、京都市営地下鉄の駅番号はT15。 従来のJR駅は東の千本通側のみの出入り口であったが、地下鉄東西線開通および山陰本線(嵯峨野線)の高架化以降は西側も整備され、近年は西口にも路線バスやタクシーが乗り入れている。また、駅周辺は京都市の副都心となりつつある。

千本通が駅東側を南北に走る。また、東西方向の御池通は当駅東側で行き止まりとなり、一本北の交差点にずれて再び西へ通じているため、自動車はいったん駅北側へと迂回するような線形になっている。駅東側は千本通、御池通沿いを中心に多くの商店がある。西側は西大路通に至るまで住宅地と中小の工場の密集地帯である。駅の北西に二条自動車教習所がある。隣の円町駅までは、山陰本線高架化に伴う道路整備により、側道を歩いて行くことができる。(山陰本線の高架化並びに御池通の拡張が行われるまで東西方向への移動の為には駅を大きく迂回する必要があり北は旧二条通、南は三条通まで迂回が必要であった。高架化が完了するまで千本三条交差点の西側は線路の下をくぐるアンダーパスであったが現在は埋め戻されて三条通は平坦化している。)

二条城前駅は、京都市中京区二条城町にある、京都市営地下鉄東西線の駅。駅番号はT14。 駅付近を南北に走る大通りの堀川通から、当初は「堀川」と名づけられる予定であったが、その後、観光客のことを考慮し「二条城前」に変更された。京都市交通局において「二条城前」を名乗る鉄道駅は、1961年7月限りで廃止された京都市電堀川線(北野線)に存在した停留所(場所は現在の駅近く)に次いで2代目となる。

二条城
二条城は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町(かつての山城国葛野郡)にある江戸幕府によって造営された日本の城(平城)である。後述する足利氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏によるものがあるが、現存する城は徳川氏によるものである。また、後の近代において二条城は京都府の府庁や皇室の離宮として使用された。城内全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録されている。 徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終わりの場所でもある。また、後の近代においては大正天皇即位の儀式である即位礼の饗宴場として使用された場所となった。

二条城はかつて平安京の大内裏であった場所の南東端とその南にあった禁園(天皇の庭園)である「神泉苑」跡とにまたがる地にある。東西約500メートル、南北約400メートル、ほぼ矩形だが厳密には東側から見て凸型となっている。南北の幅が狭くなっている西側部分が徳川家光の時代に行われた寛永の大改修によって拡張された部分で、家康による創建時は現在の東側半分(二の丸)のみであった。

二の丸の中心的建造物である二の丸御殿は、東大手門から入って正面の西方に建つ。御殿は築地塀で囲まれていて、正門である唐門は塀の南側にある。それをくぐると正面に二の丸御殿の玄関にあたる「車寄」が見える。二の丸御殿は手前から順に「遠侍」、「式台」、「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」、「白書院」と呼ばれる6つの建物が雁行に並び、廊下で接続され一体となっている。又、当初柱の銅版は金箔押しであって、現在現存している物より遥かに華やかなものであった。大広間の西側、黒書院の南側に日本庭園がある。遠侍の北側には「台所」と配膳をするための「御清所」と呼ばれる建物がある。現在、檜皮葺となっている唐破風車寄の屋根は、明治修理により瓦葺きから檜皮葺となったものである。

外部との出入り口としての城門は東西南北に1つずつある。ただし、南門は1915年(大正4年)に大正天皇の大典に備え新たに造られたもので、本来の城門ではない。正門は堀川通に面した東大手門(櫓門)である。西門(埋門)と前述の南門は外堀を渡る橋がなく使用されていない。北大手門(櫓門)も普段は閉鎖されている。また、この他に城内には5つの城門がある。二の丸を東西に分ける北中仕切門と南中仕切門、二の丸と本丸を結ぶ通路への入り口となる鳴子門と桃山門、その通路から内堀を渡った本丸への入り口となる櫓門である。なお東大手門は現在創建時と同じく櫓門となっているが、後水尾天皇の行幸を仰ぐ際、上から見下ろすのは不敬として一重門に変えられた。行幸後には再び櫓門に戻された。

本丸御殿は御所の北にあった旧桂宮邸(1847年建築)を1893年(明治26年)から1894年(明治27年)にかけて移築したもので、徳川家の二条城とは本来無関係の建物である。過去には春と秋に期間限定で公開されていたが、耐震性の不足が判明したため2007年(平成19年)春を最後に公開を中止して以降、内部は公開されていない。もともとあった京都御苑内の敷地には、築地塀と表門と勅使門、また庭園や池も現存している。

創建時の天守は、『洛中洛外図屏風』に城の北西部分(現在の清流園の辺り)に望楼型の5重天守として描かれている。この天守は慶長期に家康によって現在の二ノ丸北西隅に建てられたもので、大和郡山城天守の移築説がある。記録には小天守や渡廊下の記述があり、天守曲輪を形成していたと考えられる。この天守は3代家光の時に行われた寛永の大改修時に淀城に再び移築された。移築された淀城天守は図面が残されているので、慶長度天守の復元は可能である。 これに代わり、新たに造られた本丸の南西隅に、前年に一国一城令によって廃城とした伏見城の天守が移築された。この寛永期天守は、取付矢倉が付属する層塔型5重5階の天守であったが、1750年(寛延3年)に落雷で焼失して以来、再建されなかった。現在は、天守台のみが残る。天皇が昇った唯一の天守である。

本丸御殿が移築された後に作庭が始まり、1896年(明治29年)に完成した洋風庭園。日本庭園と異なり、池や枯山水ではなく、芝生と植樹を中心とした回遊式の庭園である。「八陣の庭」は、小堀遠州の代表作として挙げられることも多い桃山様式の池泉回遊式庭園である。池には3つの島が浮かぶ。池の中央やや北よりにもっとも大きい蓬莱島があり、その北に亀島、南に鶴島がある。亀島は亀の形に、鶴島は鶴の形に石が組まれている。蓬莱島は亀島と共に見えるアングルからは鶴の形に、鶴島と共に見えるアングルからは亀の形に石が組まれていて、常に鶴亀の一組を表現する趣向となっている。池の北西部には、二段の滝がある。池の南に広がる芝生の部分は、寛永の行幸の際には行幸御殿が建てられていた場所であり、こちら側が庭園の第1正面となる。第2正面は東(大広間)側、第3正面は北(黒書院)側という三正面式の設計である。

西陣
西陣とは京都府京都市上京区から北区にわたる地域の名称。「西陣」という行政区域はない。高級絹織物の西陣織発祥の地であり、織物産業が集中する地域である。 京都では5世紀から織物作りが行なわれており、平安時代には現在の西陣の南側に位置する黒門上長者町付近に織物職人が集っていたとされる。平安時代後半には「大舎人の綾」「大宮の絹」などと呼ばれる織物が作られ、また独自の重厚な織物は寺社の装飾に使用された。「西陣」の名は、応仁の乱(1467年-1477年)の際に西軍総大将である山名宗全らが堀川よりも西のこの土地に陣を構えたことに由来する。応仁の乱後には各地に離散していた織物職人が京都に戻り、西陣と呼ばれるようになったこの地で織物作りを再開した。

今出川通の大宮通と堀川通の間に西陣の史跡がある。西陣は日本で初めて映画館ができた場所である。今宮神社の今宮祭は西陣の祭礼として知られている。2008年(平成20年)度の西陣織製品の出荷額は約818億円であり、465の業者が存在する。織機数は計4,783台(力織機が約3,600台、手機などが約1,200台)であり、直接または間接的に西陣織業に従事する人々は約30,000人である。

京都の元学区における西陣学区も複雑に入り組んだ形をしているが、おおむねの範囲は、西限が浄福寺通、南限が五辻通、東限が堀川通、北限が寺之内通である。京都市による西陣学区の案内では「歴史的な西陣の概念は、ほぼ南北は中立売通から鞍馬口通まで、東西は室町通から千本通まで、一辺が約1kmのほぼ正方形の範囲」としている。 西陣織の業者がいる地域は、おおむね南限は丸太町通、北限は上賀茂、東限は烏丸通、西限は西大路通とされる。

金剛能楽堂
金剛能楽堂は、京都の中でも特に能楽と関わりの深い、かつての室町幕府の「花の御所」の近く(現在の京都御所の西向かい)に平成15年開館しました。百五十余年の星霜を経た室町の旧金剛能楽堂より、先人の思いが詰まった能舞台をそのまま移築。21世紀の能楽堂の中に19世紀の舞台が融合する、時空を越えた空間が誕生しました。雅な雰囲気の漂う御簾席や、禁裏の舞台の面影を伝える橋懸りの青海波文様が、見所の趣きあるたたずまいを一層引き立てます。季節の移ろいを四季折々彩る庭園にしつらえた石舞台。心落ち着き、心華やぐひとときを金剛能楽堂でお過ごし下さい。

京都市平安京創生館
平安時代に都の官庁街だった場所に建つ「古典の日記念 京都市平安京創生館」では、都の姿を一目で理解することができる「平安京復元模型」1/1000、天皇が饗宴を行った建物を発掘調査の成果を元に復元した「豊楽殿復元模型」1/20ほか、「鳥羽離宮復元模型」1/1000、「法勝寺復元模型」1/100を展示。いにしえの都-平安京-がよみがえります。 平安装束を着て記念撮影ができる体験コーナーもあります。平安京を体感しながら楽しく学ぶことができます。

京都芸術センター
京都における芸術の総合的な振興を目指して、多様な芸術活動を支援し、芸術に関する情報を収集・発信するとともに、芸術を通じた市民と芸術家等の交流を図るため、元明倫小学校を改修し、2000年4月に開設した。改修にあたっては、明倫小学校の歴史や建物(1931年改築)の文化財的価値に着目し、既存の施設を出来るだけ活かした。

稽古場・アトリエとして使用する「制作室」提供による若手芸術家支援のほか、講堂、大広間、フリースペース、ギャラリー等では、演劇・ダンス・音楽・美術等さまざまなジャンルの公演や展覧会の実施、又伝統芸能の継承事業や新しい芸術文化の創造を目指す先駆的な事業、アーティスト・イン・レジデンスプログラム等も実施している。 カフェ、図書室、情報コーナーなど自由に利用できる施設も設置している。

KYOTO舞踏館
舞踏は、日本で1950年代末に起こった前衛的舞踊です。 日本人の身体性と精神性が表出したその独自のスタイルは、それまでのダンス美学の常識を根底から覆す新たな挑戦であり、後のダンス界に大きな衝撃と影響を与えることとなりました。 ART COMPLEXグループでは、「舞踏館プロジェクト」と題した企画を立ち上げ、日本国内における舞踏の鑑賞機会の創出を目的とした活動を計画してきました。 その活動の一端を担う役割として、常設劇場を構え、ロングラン公演を実施することで「京都に行けば舞踏が観れる」という状況を生み出すことを目指しています。

船岡山公園
建勲神社に隣接する船岡山の西北部一帯が公園で、約56,200平方メートルある。頂上付近からの市街地眺望は抜群。ツツジ、ハギ等、雑木林の中を遊歩道が延び、あずまや、藤棚などがある。

京都府立府民ホール“アルティ”
1階席の床が94面に分割された電動昇降床で、公演の魅力を最大限に引き出すステージと客席づくり、多彩な演出が可能。音楽、舞踊、演劇など様々な舞台芸術の場、及び芸術鑑賞の場として府民をはじめ多くの方々にご利用頂いています。また、音楽や演劇など、国内外の一流のパフォーマンスをお届けする主催公演も多数開催しています。

名所・旧跡

華道池坊歴代家元之墓碑
池大雅の墓所
白峯神宮
藤井右門宅跡
蛤御門
北野天満宮
二条陣屋
妙蓮寺
白峯神宮
狩野元信邸跡
西院春日神社
平野国臣殉難の地
水火天満宮
道元禅師示寂の地
山崎闇斎邸跡
本法寺
並河天民講学所跡
妙蓮寺
京都府庁
弘文院跡
武者小路千家官休庵
宝鏡寺
朱雀院跡
閑院址
南蛮寺跡
京都守護職屋敷跡
大極殿跡
NTT西日本
教諭所(宣教館)跡
朱雀門跡
高松殿址
伊藤仁斎宅(古義堂)跡、並びに書庫
菅原院天満宮神社
真如院
聚楽第跡
月鉾
足利将軍室町第跡
富岡鉄斎邸跡
おかめ塚
東三条院址
名和長年戦死の地
京都相撲 最後の横綱之墓碑
大報恩寺(千本釈迦堂)
本能寺跡
新撰組遺跡
所司代屋敷跡
護王神社のかりん
薩摩藩邸跡
聖アグネス教会
烏丸御池
山名宗全の邸宅跡
源氏堀川館跡
冷泉院跡
北野大茶会跡
鈴鹿山
神泉苑
豊楽殿跡

美術館・博物館

京都絞り工芸館
二条城近くに位置する絞り染め専門の美術館。京都の絞り染めの洗練された技術、美しさは洋装、額、屏風等の美術工芸品としても評価が高く、それらの大作を特別に公開。人気の絞りスカーフ染めは全国で唯一、絹の布を絞り、染めまで体験できる。英語での対応も可能。

無名舎は、京呉服の問屋街「室町」の一画六角町にあり、建物は白生地問屋を商った京商家の典型ともいうべき表屋造り。店舗、住居、土蔵とそれらを結ぶ2つの庭と、通り庭から成っている。数々の生活工芸品(江戸時代の小袖等)を見ることで、江戸から明治・大正・昭和にかけての京商人の生活文化を偲ぶことができる。

西陣織会館
西陣織の総合PR館。史料室や連日上演しているきものショーの見学、西陣織商品の販売の他、西陣ならではのきもの体験や手織体験も充実。純国産絹織工房では、職人による実演、養蚕・座繰りなどが見学でき、純国産絹糸を使って製織した製品の展示・販売も行っている。

西陣織あさぎ美術館
精緻を極めた織の芸術 西陣織により表現された名画に出会う。日本が世界に誇る伝統産業であります西陣織の素晴らしさ、美しさを発信すべく西陣織に特化した美術館です。西陣織を帯という形に捉われず、屏風や額装といった形でご覧いただけます。日本画に題材をとったものばかりではなく印象派の作品なども西陣織で表現しております。絢爛豪華な西陣織の世界がお愉しみいただけます。

鈴木一染織コレクション
本物の裂の魅力や楽しさを知ることができる鈴木一の染織コレクションルーム。四季に分けて展示している。先ず、本物を見る事が肝心であり、その裂を見分ける目を養うお手伝いをするためのコレクションルーム。

茶道資料館
茶道資料館は茶の湯に関する企画展を開催し、掛物、茶碗、花入などの茶道具や関連の美術工芸品、文献史料などを中心に展示を行っている美術館です。 2階陳列室には、「今日庵(こんにちあん)」と共に裏千家を代表する茶室のひとつ「又隠(ゆういん)」の原寸大の写しを設けており、茶室内を見学することができます。

中信美術館
丸みを帯びたうすい橙色の壁面や銅板葺の屋根、渦巻きの連鎖モチーフの門扉、花や虫がデザインされたイタリア製の鉄扉など、南欧風の瀟洒な外観も魅力的な美術館。 特別企画展のほか、(公財)中信美術奨励基金や京都中央信用金庫が有する絵画などの美術品等を中心とした展覧会を定期的に開催しています。

樂美術館
樂焼窯元、樂家に隣接してたてられている。初代長次郎以来450余年、樂家歴代の作品を中心に、樂家に伝わった茶道具工芸品、関係古文書など所蔵品は1200点を超える。 樂歴代の作品による、「特別鑑賞茶会」や「手にふれる樂茶碗鑑賞会」が催され、実際に手にとって鑑賞することができる。

益富地学会館
益富地学会館は、地学に興味と関心を持つ人々の集いの場となっており、研究設備の他に1万冊を超える地学関係図書を所蔵し、会員に公開しています。標本展示室では、世界中の鉱物・化石・岩石などの標本約1万5千点を展示し、国内の標本は都道府県別に分類され、一般に公開しています。当館では、青少年の地学教室・様々な団体に対する研修(要予約)も行っているほか、一般市民や地学団体会員を対象にした連続講座や野外見学・採集会も定期的に開催しています。また、世界各国の200社以上の業者が出展する展示・即売会「石ふしぎ大発見展」を開催、鉱物鑑定検定を全国規模で実施しています。

遠藤剛熈美術館
京都の現存作家遠藤剛熈の作品-油彩画、水彩画、デッサン-約2000点を収蔵、展示。初期から新作まで、遠藤芸術の全貌を鑑賞できる。ギリシアの神殿をモデルにした鉄筋コンクリート3階建て。館内はコンクリート打ち放しの壁面と、正面玄関や階段の手摺等々、随所に楢木のデコラティブなデザインが施された内装で独特の空間を創り出している。

京都国際マンガミュージアム
京都市と京都精華大学の共同事業で、マンガの収集・保管・展示およびマンガ文化に関する調査研究を行う博物館的機能と図書館的機能を併せ持つ新しい文化施設。マンガ資料は、明治の雑誌や戦後の貸本などの貴重な歴史資料や現在の人気作品、海外作品など約30万点。その内5万冊のマンガ本は館内のどこでも自由に読むことができる。建物は、元龍池小学校の昭和4年建造等の校舎を活用し、当時の佇まいを残している。土・日・祝日を中心にマンガに関するワークショップや似顔絵コーナーに参加できる。「えむえむ紙芝居」では昔懐かしの紙芝居口演が見られる。

源氏物語の館
日本が世界に誇る文化遺産(国宝全図)の「源氏物語絵巻」を京友禅にて忠実復元。徳川黎明会承認。展示/京友禅国宝源氏物語絵巻、京友禅国宝源氏物語屏風、源氏物語五十四帖和歌集(徳川美術館所蔵、徳川黎明会承認)。 体験/本手描京友禅体験コーナー。ご希望の方は前日までにご予約ください。ご自身で手描京友禅の作品を制作して頂きます。

ナカガワフォトギャラリー
ナカガワフォトギャラリーは平成5年(1993年)3月1日に京都市北区の地にて開館しました。日本で最初にカメラオブスキュラ(写真鏡)が設置され、写真機材、写真などを展示するギャラリーでありましたが、今年の7月末を持って閉館することになりました。 皆様の温かい励ましと、ご支援にに感謝いたします。今後、ナカガワフォトギャラリーは、NPGと改称して、京都市上京区において京都に関連した新しい文化を発信していきたいと考えています。 どうか今後ともよろしくお願いいたします。

大西清右衛門美術館
京都・三条釜座にて約400年にわたり、茶の湯釜の伝統と技を守り続ける千家十職の釜師・大西家に伝わる茶の湯釜と茶道具類を公開。展覧会の会期中には茶会や講演会、親子で参加の「観賞会」、茶の湯釜の名品を手にふれながら楽しむことのできる鑑賞会などのイベントを開催。

京都市考古資料館
京都市の発掘調査で出土した旧石器時代~江戸時代に至る約1,000点の考古資料を展示。写真パネルと遺物の組み合わせを中心にイラスト、レプリカを活用し分かりやすく解説しており、出土品を手にふれて観察できるコーナーもある。

平安貴族のくらしと文化展示室  
1987年、リサーチパークの建設に先立つ埋蔵文化財の発掘調査で、平安時代(9世紀半ば)の大規模な邸宅跡が発見されたため、その遺構の概要を伝える展示室が設けられた。建物の配置などから「寝殿造りの原形」ともいわれている。往時の邸宅を40分の1サイズで復元した、縦3.5メートル、横2.2メートルの巨大な模型があり、華やかな貴族の生活を垣間見ることができる。

京菓子資料館
宝暦5年(1755)創業、京都を代表する老舗菓子店・俵屋吉富の資料館。「京菓子の文化をより多くの人に正しく伝えていきたい」というコンセプトのもと、京菓子に関する古文書や絵画、和菓子の模型、糖芸菓子などが展示されている。糖芸菓子とは、砂糖を使って花や鳥などを再現した芸術品で、常設展示は貴重。最後は館内の茶席「祥雲軒」で、お抹茶、俵屋吉富の銘菓「雲龍」と季節の生菓子をいただきたい。

北野天満宮宝物殿
宝物殿は昭和2年(1927)、萬燈祭の記念事業として和風・洋風をおりまぜた当時としては最高の技術を駆使して建築されたもの。収蔵されているのは国宝北野天神縁起絵巻(えんぎえまき)を始め、北野大茶湯図(おおちゃのゆず)、菅原道真公愛用と伝えられる松風硯などを中心に多数展示されている。

西陣くらしの美術館 冨田屋
明治18年に建てられた、典型的な「表屋造り」の町家です。(国登録有形文化財指定)築約130年の町家で大切に守られてきた一年間の行事のお話を聞いていただき、奥へのびる空間(うなぎの寝床)を見学して頂きます。

町家手拭ギャラリー
創業400年を超える綿布商の老舗「永楽屋細辻伊兵衛商店」の2階にある、町家手拭の文化を伝えるギャラリー。明治から昭和初期にかけて作られた町家手拭を復刻した時のヒントとなった貴重なコレクションを展示している。

風俗博物館
源氏物語の六条院の館「春の御殿」を4分の1のサイズの模型で作り、色とりどりの装束を物語そのままの色柄で具現すると同時に、実物大の人形・調度品・寝殿の一部も展示し、書物や絵巻でしか触れられなかった源氏物語の世界をよみがえらせる。

ブリキのおもちゃと人形博物館
昭和を中心に、懐かしいブリキ玩具・セルロイド人形など、当館所蔵の1万5,000点以上から約3,000点を常設展示。月1割ほど入れ替えています。鉄腕アトム・鉄人28号・ペコちゃんなどの企業キャラクターのコーナーもあります。特に、ブリキの国産車300台や、ウルトラ怪獣300体は必見です!また、特別展も同時開催しております。展示だけでなく、販売・貸出・玩具探し・貸し展示スペース・人形供養・寄贈受付なども行っています。

行事・祭典

千本釈迦念仏
七夕小町をどり
船岡大祭
氏神祭
夏越大祓式
神泉苑大念仏狂言
護王大祭
市民大茶会(秋)
壬生狂言
武道繁栄奨励祭
中堂寺六斎念仏<壬生寺>
亥子祭
柊大明神祭・節分祭
上京薪能
小山郷六斎念仏
二条城観桜茶会
宝鏡寺人形展
藤花祭
市民煎茶の会(春)
人形供養祭
千本閻魔堂大念佛狂言
若菜節句祭
北野をどり
例祭<菅大臣神社>
花まつり(花供養会)
お火焚祭<白峯神宮>
大根焚・成道会法要
空也堂開山忌
精大明神例祭
千本六斎念仏
献茶祭
春季例大祭<白峯神宮>
陶器市
観月祭(献燈祭)
伴緒社祭
朝勤<妙顯寺>
壬生六斎念仏