江戸時代衣装と浮世絵、東京国立博物館

江戸時代、歌舞伎などの芝居が流行し、錦絵や浮世絵で役者の服飾が紹介されると、庶民の装いは更に絢爛豪華なものとなった。

江戸時代の小袖・振袖・打掛のほか、帯や櫛・笄・簪など、町方の女性たちのトータルファッションを展示します。同じ部屋に展示される浮世絵の美人画と見比べながら、江戸時代のファッションの流行にイメージを膨らませてください。今回は夏から秋の季節の変わり目になるため、夏に着用する帷子、重陽の節供に合わせて菊をデザインした小袖などを展示し、伝統的な日本の四季感を、衣生活を通して紹介します。また、印籠・根付も展示しますので、江戸時代における男性の洒落た感覚も合わせてご覧ください。

浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した絵画のジャンルである。本来、「浮世」という言葉には「現代風」「当世」「好色」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教など多彩な題材がある。

渓斎英泉(けいさいえいせん)と歌川広重(うたがわひろしげ)の合作になる「木曽街道六拾九次之内」シリーズは、日本橋から大津までの70枚の揃いで、広重の「東海道五拾三次之内」と並んで街道物を代表する浮世絵版画の優品として知られています。この全揃いを二回に分けて紹介いたします。今回は日本橋から奈良井宿までの35枚を展示します。

渓斎英泉

渓斎 英泉とは、江戸時代後期に活躍した日本の浮世絵師。

英泉の画風に学び、幕末の退廃的な美人画を得意とした絵師として、歌川国貞が挙げられる。自著『无名翁随筆』の英泉の項目には「近頃國貞も傾城畫は英泉の寫意に似せて畫し者也」記され、浮世絵関連の書籍でもしばしば踏襲される見方である。しかし、両者にはどちらがどちらを真似たのか判然としない作品や、少数ながら合作の錦絵があり、また英泉が文を、豊国襲名後の国貞が絵を担当した合巻があるなど、時々に競作と共作が入れ替わる複雑な関係だったようだ。

浮世絵師としての英泉は、当初、師・英山が描くような儚げな女性の美人画を描いていたが、その後、独自の妖艶な画風で人気を博することになる。6頭身で胴長、猫背気味という、屈折した情念の籠った女性像が特徴である。また下唇が厚く、下顎が出たような顔も特徴的といえる。英泉は深川のような岡場所や吉原遊廓の遊女を、妖艶さと強い意志を湛えた眼差しを持つ女性として描いた。英泉の描いた肉筆美人画は、江戸時代の後期、文化・文政期の退廃的な美意識を象徴的に表し、幕末の世情を反映したアクの強い画風を示している。それは“えぐみ”と言われる既存の美意識を逆転させたところに美を見出す点で、時代の感覚と符合した。

歌川 広重

歌川 広重は、江戸時代の浮世絵師。本名は安藤重右衛門。江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となった。かつては安藤広重(あんどう ひろしげ)とも呼ばれたが、安藤は本姓、広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、広重自身もそう名乗ったことはない。ゴッホやモネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家である。

歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。

この鮮やかな青は藍(インディゴ)の色であり、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。ただし、その他の浮世絵でも使われるベロ藍自体はヨーロッパから輸入されたものである。

ヒロシゲブルーは、19世紀後半のフランスに発した印象派の画家たちや、アール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響をあたえたとされ、当時ジャポニスムの流行を生んだ要因のひとつともされている。

東京国立博物館

東京国立博物館は、わが国の総合的な博物館として日本を中心に広く東洋諸地域にわたる文化財を収集・保管して公衆の観覧に供するとともに、これに関連する調査研究および教育普及事業等を行うことにより、貴重な国民的財産である文化財の保存および活用を図ることを目的としています。

平成19年4月1日からは、東京国立博物館の所属する独立行政法人国立博物館と独立行政法人文化財研究所が統合され「独立行政法人国立文化財機構」が発足しました。新法人のもと貴重な国民的財産である文化財の保存及び活用を、より一層効率的かつ効果的に推進していきます。