三十三間堂・東福寺エリア、日本京都観光ルート

三十三間堂エリア、後白河法皇や豊臣秀吉の足跡を感じる寺院、明治浪漫が薫る博物館で京の歴史と文化をたどる。鴨川にかかる七条大橋を渡って東へ進むと、東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰に向って道はなだらかな上り坂に。このあたりには平安時代、後白河法皇の御所である法住寺殿が造営され、そのなかに建てられたのが三十三間堂のはじまりです。戦国時代になると、豊臣秀吉が三十三間堂の隣に大仏殿方広寺をつくり、現在も当時の南大門や太閤塀が残っています。また、三十三間堂の向いには、明治期に建てられたレンガ造りの門や明治古都館がある京都国立博物館も。広々とした七条通を中心に、京都の歴史や文化を学ぶスポットが点在しています。

東福寺エリア、紅葉も、庭園も。東山連峰のふもとに静かにたたずむ、由緒ある寺院をゆっくりと散策。JR京都駅の東側に位置し、東山連峰と鴨川に挟まれたエリア。JRと京阪電車、ふたつの交通機関が並行して走っていて、京都市中心部や伏見区、宇治、大阪方面からのアクセスが便利です。京都駅からJR奈良線に乗ると、一駅で東福寺駅に到着。紅葉の名所として有名な東福寺ですが、初夏の青もみじや庭園も見事。一年を通じてたくさんの観光客を魅了しています。東山の麓には皇室の菩提寺である御寺泉涌寺も。このエリアのメインストリート、東大路通沿いには、地元の人々に愛される今熊野商店街があり、京の暮らしに触れることもできます。

東山区は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。 区内には祇園や三条京阪周辺などの繁華街がある。鴨川左岸の平野部は早くから市街化されているが、東山の西麓には大規模な寺社が林立する。景観条例等の規制が比較的厳しいこともあって、他の区で見られるような山間部の住宅開発は行われていない。

東福寺駅は、京都府京都市東山区本町十二丁目にある、京阪電気鉄道および西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。京阪電気鉄道の駅番号はKH36、JR西日本の駅番号はJR-D02。 京都の玄関口である京都駅の南東部に位置する駅である。京阪電気鉄道の京阪本線と、JR西日本の奈良線が乗り入れている。

三十三間堂
三十三間堂は京都府京都市東山区三十三間堂廻町にある仏堂。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。本尊は千手観音で、蓮華王院の名称は千手観音の別称「蓮華王」に由来する。 この地には元々、後白河上皇(1127年 – 1192年)が離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂としての三十三間堂である。上皇が眠る「法住寺陵」は三十三間堂の東隣にある。

上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて長寛2年12月17日(1165年1月30日)に完成したという。創建当時は五重塔なども建つ本格的な寺院であったが、建長元年(1249年)の火災で焼失した。文永3年(1266年)に本堂のみが再建されている。現在「三十三間堂」と称されている堂であり、当時は朱塗りの外装で、内装も極彩色で飾られていたという。建築様式は和様に属する。

三十三間堂について次のような伝承がある。後白河上皇は長年頭痛に悩まされていた。熊野参詣の折にその旨を祈願すると、熊野権現から「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」とお告げがあった。そこで因幡堂に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ「上皇の前世は熊野の蓮華坊という僧侶で、仏道修行の功徳によって天皇に生まれ変わった。しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、その目穴から柳が生え、風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」と告げた。上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りであったので、三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、上皇の頭痛は治ったという。「蓮華王院」という名前は前世の蓮華坊の名から取ったものであるという。この伝承により「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」と俗称された。

三十三間堂の名称は、本堂が間面記法で「三十三間四面」となることに由来する。これは桁行三十三間の周囲四面に一間の庇(廂)を巡らせたという意味である。つまり柱間が33あるのは本堂の内陣(母屋・身舎)で、建物外部から見る柱間は35ある。正面に7間の向拝があるが、この区域は慶安2年(1649年)から慶安4年(1651年)頃の増築である。

ここで言う「間」は長さの単位ではなく、社寺建築の柱間の数を表す建築用語である。三十三間堂の柱間寸法は一定ではなくその柱間も今日柱間として使われる京間・中京間・田舎間のどれにも該当しない。「三十三間堂の1間(柱間)は今日の2間(12尺)に相当する」として堂の全長は33×2×1.818で約120m、と説明されることがあるが、これは柱間長についても、柱間数についても誤りである(ただし実際の外縁小口間の長さ約121mとほとんど一致する)。 また、2016年に京都市埋蔵文化財研究所の調査により、地盤は砂と粘土を層状に積んで構成されていることが明らかになった。これは積層ゴムが建物の揺れを吸収する「免震」のメカニズムと共通している。

東福寺
東福寺本坊の庭園は、重森三玲の作庭による4つの枯山水。「八相の庭」と命名されている。力強い石組の南庭、白砂と刈込の市松模様の西庭、苔と石の市松模様の北庭、北斗七星の東庭。意匠はそれぞれに斬新。

清水寺
清水寺の本堂から錦雲渓をへだてた丘の上にある。総丹塗り、桧皮葺の三重塔(重要文化財)で室町時代後期の再建。清水寺の塔頭で泰産寺という寺名をもつ。塔内には千手観音が安置されている。寺伝では聖武天皇・光明皇后がこの観音に祈願され、孝謙天皇を安産されたので、その報恩のため建てられたという。後世、安産祈願の信仰が生まれ子安観音とあがめられる。塔前からの清水寺全景の眺望は素晴らしく、東山の光景になくてはならない塔でもある。

天得院
天得院の庭園は、築地塀に囲まれた枯山水。庭一面を覆う苔の大海に皐月の刈込と自然石が島のように点在し桔梗が風にそよぐ。華頭窓からの眺めも良し。桃山時代作。

霊雲院
霊雲院の庭園は、重森三玲修復の枯山水。書院西庭と湘雪和尚ゆかりの遺愛石が置かれた庭。須弥山や枯滝石組は江戸初期の手法。重森三玲氏の手で復元され遺愛石を置いた九山八海の庭と臥雲の庭の二つがある。また、桃山様式という二階建ての茶室(観月亭)がある。

芬陀院(雪舟寺)
芬陀院(雪舟寺)の庭園は、画聖雪舟作といわれ、一面の苔と流れるような白砂が美しい枯山水。参道には椿の生垣。亀島の中心石には面白い伝説が残る。

善能寺
善能寺の庭園は、句碑を刻んだ三尊石組と雲を表現した苔の築山がユニーク。ばんだい号の慰霊を願って池泉も空からの俯瞰図をテーマとして作庭。

智積院
智積院の庭園は、細長い池の北端からの景色は池と滝と築山とが一体となって遠近感が強調され印象的な視覚効果をもたらしている。池泉廻遊式庭園。五月から六月にかけてツツジやサツキがいっせいに花咲く。

夢の浮橋跡
昔は泉涌寺の参詣道として一ノ橋川に架かっていた橋で、橋名は「源氏物語」宇治十帖「夢の浮橋」のたとえから。昔は破損しても改修せず別名落橋とも。「夢の浮橋」とは実にやさしく優美な名前である。市バス泉涌寺道100メートル。

那須与市の墓
東山区、泉涌寺塔頭・即成院の境内にある。1185年(文治1)屋島の戦で扇の的を射落とし、那須与市宗高は名をあげたが、出陣の途中病気になり伏見の即成院に平癒を祈願し武勲をたてたことが忘れられず、のちに剃髪し入信した。墓と寺は再三移転して現在地に定まる。市バス泉涌寺道300メートル。

新日吉神宮のおがたまのき
新日吉神社参道正面にあるモクレン科のオガタマノキ。参道分岐点の三角帯の台地にある。オガタマノキが植えられたのは、応仁の兵火のあとであろうといわれている。

美術館・博物館

京都国立博物館
千年の都京都ゆかりの文化財を中心とした展示・保存・研究を進める国立博物館。2014年9月にオープンした平成知新館では、随時展示替えを行っており、館収蔵の名品の数々をご覧いただけます。 ロダン作銅造考える人、フランスの彫刻家ロダンの作品。原作は1880年の作という。大正末期に輸入され、個人の手に渡ったのち京都国立博物館の所蔵となった。ロダンの存命中かあるいは没後早い時期に鋳造されたもので、大変貴重である。 旧帝国京都博物館正門、京都国立博物館の西側、大和大路通に面する明治時代の重要文化財建造物。旧帝国京都博物館本館と同じく片山東熊の設計による煉瓦造りの洋風建築。 旧帝国京都博物館本館、明治時代の重要文化財建造物。宮廷建築家片山東熊の設計による、煉瓦造りの洋風建築。内部は大小11の展示室からなる。免震改修計画のため、当分の間展示を休止中。

豊国神社宝物館
豊国神社境内の奥にある桃山風造りの建物。大正14年(1925)12月に開館。豊臣秀吉の業績、遺徳を広く伝える為に、豊太閤ゆかりの品々が展示されている。 なかでも、慶長9年(1604)に行なわれた同神社の臨時祭礼を描いた六曲一双の屏風「豊国大明神臨時祭礼図」(狩野内膳筆・重要文化財)は当時の京都の町の様子を知ることができる貴重な資料。 その他、重要文化財に指定されている「骨喰太刀」(粟田口吉光 作/現在は京都国立博物館に寄託)、「蒔絵唐櫃」「鉄灯龍」(辻与二郎実久作)なども展示されている。

智積院収蔵庫
智積院は日本の壁画を代表するものとして世に知られている国宝「桜図」と「楓図」をはじめとして、「松に秋草図」、「松に立葵図」などの障壁画が鑑賞できる。いずれも、長谷川等伯とその一派の作。

行事・祭典

二十五菩薩お練り供養
例大祭<新日吉神宮>
豊国廟例祭・献茶祭
採燈大護摩供
楊枝のお加持
大般若経会
青葉まつり
三十三間堂の通し矢
涅槃会
後白河法皇御木像御開扉
桔梗を愛でる特別拝観
火焚祭<新日吉神宮>
綱掛祭
大樟祭
今様合
無病息災大根焚き
朝勤行<智積院>
泉涌寺窯もみじまつり
鰻放生大祭
左義長祭
茅の輪くぐり
彼岸法要
豊国神社例祭・献茶祭
義士会法要
七福神めぐり
例大祭<新熊野神社>
新日吉祭
お砂踏法要
筆供養