海野光弘版画記念館,島田市博物館

1993年(平成5年)に静岡県島田市の島田市博物館が開催した『海野光弘木版画展』が縁となり、海野家から全作品が島田市に寄贈されたことで2000年(平成12年)に島田市博物館・分館の一施設として開館。木版画作品が常設展示されている。

昭和14(1939)年静岡市に生まれ、中学1年より本格的に版画を制作。昭和52(1977)年にはスイス美術賞展優秀賞を受賞するなど、版画家として第一線で活躍をしながら39歳の若さで急逝した版画家・海野光弘の作品を数多く収蔵、展示する記念館です。

作風は、それぞれの風土の中でひたむきに生きる人間が描かれている作品が多く、木版の黒版の上に色を重ねた技法(陰刻)が特徴です。氏のやさしい人間観が表現されており、見る者の心に不思議な懐かしさを感じさせます。

作品は、当館が平成11(1999)年に海野夫人から一括して寄贈を受けたものです。海野作品は他に、スイスプティパレ美術館、シカゴ美術館、浜松市美術館等にも所蔵されています。平成12(2000)年にオープンしたこの記念館は、白を貴重とし、日本家屋の黒との対比や中庭の緑との調和が美しく、穏やかな空間となっています。

海野光弘
海野光弘(うんの みつひろ、1939年(昭和14年)11月19日 – 1979年(昭和54年)9月23日)は、日本の木版画家。静岡県静岡市出身。

略歴
静岡市新富町(現在の葵区新富町)4丁目で染色業を営んでいた海野家の次男として生まれる。1952年(昭和27年)、静岡市立末広中学校に入学。1年の頃、日記の中に入れた版画が教諭の目に留まり、日本教育版画協会所属の教諭・蒔田晋治を紹介され、以後版画制作に没頭するようになる。静岡商業高校卒業後は日立製作所東京本社に就職したが、20歳になった1959年(昭和34年)に退職。本格的に版画家としての道を歩むようになり、同年、静岡市内で初の個展を開く。1964年(昭和39年)に発表した「触」が日本版画協会賞奨励賞を受賞。その後も多くの作品を制作・発表し、1972年(昭和47年)「対話の山」が静岡県芸術祭賞を受賞、1977年(昭和54年)には「縁通し」がスイス美術賞展優秀賞を受賞する。

黒地の版をベースとして、その上に様々な色の版を刷り重ねていく陰刻法による多色刷りを用い、日本各地を回ってスケッチした古民家や里山・農村といった日本の原風景を、見るものに懐かしさを与える独特の色合いと構図で表した。

1979年(昭和54年)9月、突然脳出血に倒れ、同月23日に39歳で死去した。

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島田市博物館
島田市博物館(しまだしはくぶつかん)は、静岡県島田市が運営する市立博物館。市の歴史・文化・芸術を紹介する 本館のほか、民俗資料を展示する「民俗資料室」と「明治日本家屋」、版画家海野光弘を顕彰する「海野光弘版画記念館」からなる分館がある。

概要
島田市中心部から西に1.8キロメートルの、大井川河川敷近くに所在する。博物館は、旧東海道島田宿の大井川川越しの宿場を再現した国の史跡「島田宿大井川川越遺跡」の街道沿いにあり、史跡エリアを含めて「ヒストピア島田」と総称される。本館の北東約200メートルの街道沿いに分館がある。

本館
日本家屋風の瓦屋根を持つ2階建て建造物。1階の常設展示室では江戸時代の資料を中心に島田宿や大井川の川越し、島田の刀鍛冶、島田大祭、島田髷、志戸呂焼などについて紹介し、市の歴史を学習できるようになっている。2階は定期的にあるテーマに基づいた企画展を開催する特別展示室となっている。歴史資料だけでなく、近・現代の絵画・陶芸・工芸品など美術コレクションも収蔵している。

分館
以下の3施設が併設されている。

民俗資料室
市民寄贈の民俗資料(生活用品、工具、農具など)を収蔵し、明治・大正・昭和期に関する展示を行っている。

明治日本家屋
1890年(明治23年)に建てられた古民家「旧桜井邸」を復元公開している。現代美術の展示室としても使われる。

海野光弘版画記念館
静岡市出身の版画家・海野光弘(1939~1979)を顕彰し、遺族から島田市に寄贈された作品を収蔵・展示する。現代の木版画家らの作品を展示する企画展も開催する。

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Tags: Japan