京北エリア、日本京都観光ルート

京北エリア、豊かな自然が残る林業の里、清流に蛍舞う桂川の源流域や光秀ゆかりの城址も。京北は京都市右京区の北部に位置し、大阪市と同じくらいの面積ですが、その90%が森林。平安時代から都に材木を供給してきた林業の里です。豊かな自然が広がり、樹齢千年を越えるといわれる伏条台杉の巨木の群生が発見されました。また、京都市西部を流れる桂川の源流域でもあり、夏になれば清流には蛍が舞い、まちなかでは味わえない癒やしを与えてくれます。南北朝時代、この地に隠遁した光厳天皇開祖の常照皇寺、戦国時代に明智光秀が築いたと言われる周山城址など、歴史的なスポットもあります。

京北町は、2005年(平成17年)3月31日まで京都府北桑田郡に存在した町。現在の京都市右京区の一部であり、町名に京北を冠する区域にあたる。杉の良材の産地。 1955年(昭和30年)3月1日に北桑田郡南部の1町5村(周山町・細野村・宇津村・黒田村・山国村・弓削村)が合併して発足。

町域のほとんどが森林で、北山杉の磨丸太などの産地として林業が盛んである。町内を桂川が横断して京都嵯峨などに接続しているため、古代より水運を利用した京都の重要な材木供給地であった。

京北地域は、右京区の北部に位置し、北西部は南丹市と接しています。形状は、東西に17.7km、南北に21.7kmの長方形で、総面積は、217.68km2にも及びます。地域全体が丹波高原の中にあり日本海と太平洋の分水嶺に位置し、総面積の9割以上を緑あふれる森林が占めています。 東端の三国岳が源となる上桂川が地域の中央を流れ、弓削川、小塩川、細野川などの支流がこれに合流しています。住民の生活は、これらの河川に帯状に広がる平均標高240mの平坦部に散在する集落で営まれています。

気象条件は山々に囲まれていることもあって内陸型の気候で、夏涼しく、冬寒く、降水量も多くなっています。この気候条件が、森林の育成には適しているといえます。 京北地域では、先人が守り育ててきた、すぐれた伝統・文化・産業を継承しつつ、住む人が豊かさを実感し、訪れた人が住んでみたいと思うような魅力ある地域づくりに取り組んでいます。

京北ふれあい朝市
京北の採れたて新鮮野菜や加工品を生産者自らが販売する市。 生産者と消費者がふれあえる場として、毎週日曜日に開催されています。

八丁・片波源流域
手つかずの自然が残るこれらの地域には、天然シャクナゲの群生もみられます。片波源流域では、最近、樹齢千年を越えるといわれる伏条台杉の巨木の群生が発見されています。

福徳寺と桜
和銅4年(711)行基が創建。薬師如来、持国天立像、増長天立像が安置され、重要文化財に指定されています。 春には、境内の樹齢270年のしだれ桜が咲き誇ります。

滝又滝
高さ25mの絶壁から落ちる滝の眺めはすばらしく、周囲の自然が四季を通じて、様々な顔の滝を演出します。

栗尾峠の展望
周山街道(国道162号)にある峠で、周山地区を一望できるところにあります。時折、濃霧が町をつつみこみ、そのなかにポッカリのぞく山並みは、神秘的でしばし立ち止まらせる情景です。

魚ヶ渕のつり橋
つり橋のたもとに咲き乱れるしだれ桜、橋の向こう側の茅葺きの廃屋、橋下を流れる上桂川の清流が日本的な田舎の原風景をよみがえらせています。このあたりは、大型鮎のポイントとしても人気があり、シーズンには、釣り人が絶えないところでもあります。

菩提樹の道とゼミナールハウスからの眺望
600mにおよぶ菩提樹の並木道を通ると、小高い丘の上に府立ゼミナールハウスがあります。そこからは遠くに霞む愛宕山も一望でき、田園と山々がおりなす風景が人々の心を和ませます。

宇津峡
京北地域を流れる上桂川の最下流にあたるこの場所は、山間に静かに水をたたえる静寂の地です。近くに親水レジャー施設「宇津峡公園」があります。京都市京北宇津峡公園と、豊かな緑と上桂川の清流を生かし、大人から子どもまでのんびりと余暇を楽しめる大型アウトドア施設。

京都市京北運動公園
野球場兼運動場1面,テニスコート(オムニコート2面、ハードコート3面)

京北山国の家
京都市京北地域の豊かな自然環境の中で、子どもたちの心身の健全な発達を図るための体験活動や、市民の野外活動の振興を図るための施設です。多目的に利用できる会議室や和室、スポーツなど屋外での活動のための広場、合宿・研修会など幅広くご利用いただくことができます。

京北森林公園
平成12年4月にオープンした山村体験交流施設。約3ヘクタールの敷地内には、きのこのことをわかりやすく説明している展示室があるほか、芝生公園でのバーベキュー(屋根付きの炉もあります)、木製遊具やまいたけ狩り・しいたけ狩り・しいたけの菌打ち体験・石釜で手作りピザ体験等が楽しめます。ご家族グループで自然と触れ合いながら素敵な1日をお過ごしください。

名所・旧跡

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常照皇寺
臨済宗天竜寺派の禅寺。貞治元年光厳天皇の開山。 庭園、境内、裏山をあわせて、12,000平方メートルの敷地のなかにあります。京都府歴史的自然環境保全地域に指定され、春は天然記念物で有名な九重桜などの桜が咲き乱れ、夏は新緑、秋は紅葉、冬は風情ある雪景色と四季折々の趣をみせます。

南北朝時代の北朝初代光厳上皇が建立し、ここに隠棲した。庭には、国の天然記念物「九重桜」、御所より枝分けした「左近の桜」、「御車返し」など名木がある。戦国期の一五七九(天正七)年、丹波の守、明智光秀の山国全焼戦による寺域全壊の後、江戸期の後水尾天皇の「ひねりこうし」のこぼれ話にあるように、志納などで漸次回復した。また、幕末・明治期の王政復古もあって、皇室経済は由緒寺院への下賜金を繰り返し、堂宇庭園を拡大したが、第二次世界大戦のあおりにより多くの寺田や寺の資産は亡失。その後、現在の姿に復元した。

芹生の里
人形浄瑠璃や歌舞伎「菅原伝授手習鑑」の寺子屋で名高い伝説の地。菅原道真の遺児慶能を教育した武部源蔵の屋敷跡があります。灰屋から芹生までの渓流沿いは絶好のハイキングコース。

周山城址
周山の西北「城山」に、およそ400年前(天正7年)に明智光秀が山岳城を築いたといわれています。また、「周山」という地名も、光秀が中国の周の武王が善政を布いたという故事から名付けられたといわれています。現在、山頂に馬駆場といわれる平坦地と古井戸を残すのみですが、石垣跡で城跡の影をとどめています。

周山廃寺跡
出土した白鳳時代の布目瓦から、白鳳期に創建されたものとされています。中国六朝時代の金属品の葡萄鏡、奈良朝時代の金銅製風鐸(風鈴)、中国の唐・宋・南宋時代の古銭、東洋最古の釉薬を使用した土器など、白鳳時代から奈良朝時代・平安朝時代の後期までにつくられた貴重な遺物が多数出土しています。 南大門、東堂、三重塔、中堂、西堂、北堂などの建物跡が確認されていますが、現在は、東堂址だけが礎石のまま保存されています。

道風神社
平安期の名書家の一人、小野道風を祭る。別称武明神社ともいい、同町の産土神。本殿のほか不動明王を祭る明王堂と拝殿、また境内に和香水で知られる名水の井戸がある。創祀は920年(延喜20)と伝える。道風神社境内にあるツバキ科のサカキ。町はずれの山麓、渓畔にある神社境内の平地にある。道風神社は小野道風を祭神とする郷社。

金花山 宝泉寺
南北朝時代の延文元年(1356年)、心蓮上人が母の病気平癒を祈願し、十一面観世音をご本尊として、高雄山神護寺から京北に移転し、開創されたと伝えられています。その後、真言宗御室派の寺院として、古くから人々の安寧を祈願し、護摩を修してきました。 2018年秋、その宝泉寺の裏山に200本の桜を植えるプロジェクトが始動しました。もともと宝泉寺には、樹齢50年の八重紅枝垂れや、世界遺産の仁和寺から移植した御室桜など、たくさんの桜が毎年きれいな花を咲きます。大きな八重紅枝垂れには「平安しだれ桜」や「観音桜」という愛称が付いています。京都市内中心部より少し遅咲きの桜で、4月中旬頃に満開を迎え、知る人ぞ知る桜スポットでもあります。

山國神社
平安遷都にあたり、御所造営の木材を山国の郷より徴せられ、この郷を御杣御料地(木材を切り出す所)と定め、宝亀年間(770年~780年)本殿が建てられました。明治維新の際の官軍「山国隊」が出陣の誓いをなした社です。境内の杉木立は、上桂川の清流を挟んで背景に広がる北山杉の林と相まって山国地域の象徴的な景観を形成しています。毎年10月の例祭「還幸祭」には、維新勤王山国隊の行進で賑わいます。 「京都の自然200選」のひとつに選ばれています。

志明院
当山は650年(白雉元年)役の行者が草創。829年(天長6年)弘法大師が、淳和天皇の叡願により再興、本尊不動明王は淳和天皇の勅願に依り弘法大師の直作と伝えられ、根本中院本尊眼力不動明王は宇多天皇の勅願により菅原道真公一刀三礼の彫刻で以来皇室勅願所として崇敬深く、秘仏として即位に際し勅使を迎え開扉され、宝祚延長、万民安穩の祈願を籠めた。日本最古不動明王顕現の神秘霊峯である。皇室の崇敬の一因には鴨川の水源地である洞窟の湧水を敬い、水神を祀り、清浄な鴨川の用水を祈願したと伝わる。水の伝説として有名な歌舞伎十八番「鳴神」がある。1831年(天保2年)失火により山門を除く殆んどが焼失の悲運にあったが本尊不動明王は災厄を免れた。その後、熱心な信者により復興された。市の天然記念物に指定されている境内のしゃくなげ林は4月下旬から5月上旬が見頃。司馬遼太郎が好んだ山寺で、アニメ「もののけ姫」のタイトルもこの森から生まれたといわれている。

岸池山 薬師寺
天平年間・聖武天皇の時代に建立されたと伝えられている。南北朝時代の暦応年間(1338~)、北朝第一代天皇であった光厳天皇によって中興された勅願寺。安土桃山時代、明智光秀が周山に城を築こうとして、その用材確保のために近隣の寺社仏閣等を徴用し、薬師寺の建物も良材であったため明智の手下が三度取り外しにやってきた。しかし、本尊薬師如来の霊力により、明智の軍勢も当寺を破壊できなかったという逸話が薬師寺縁起絵巻に記されています。また、光秀が徴発を企てた時の痕跡が今も円柱に残っています。

行事・祭典

上桂川の鮎釣り
小塩の上げ松
京北ふれあい朝市
矢代の田楽踊り
志明院大祭
維新勤王山国隊の行進

自然・風景
地域の93%を森林が占める京北は、全国でも屈指の林業地です。 中世より御所への木材を貢納していた禁裏御料地で、 京都への木材供給地として栄えてきました。 苗木づくりから植林、保育、伐採、搬出に至るまで、 長い歴史に裏付けられた知識と技術によって、 スギ、ヒノキを中心とする優良な木材を生産しています。 また「北山杉」で知られる磨丸太の産地としても有名です。

京北地域の森林は一部を除いて、そのほとんどが民有林で、それぞれ所有者の手によって管理されています。森林面積20,243haのうち47%が、人の手によって植林され大切に育てられている「人工林」です。そのほとんどがスギやヒノキの針葉樹で、健全な森林を守り、育て、また優れた品質の木材を生産するため、下刈り、枝打ち、間伐といった手入れが行われています。

人工林以外の「天然林」と呼ばれる森林は、アカマツとヒノキの混合林や広葉樹林などで、特に奥山には、樹齢1000年ともいわれる天然の伏条台杉なども残っており、地域の貴重な財産となっています。

約30の素材生産業者を中心に、スギ、ヒノキ、マツなど、合わせて年間約25,000m3の安定した素材生産量を誇っています。 林道の利用や架線による集材、また場所によってはヘリコプターも利用して山から切り出された木材は、主に地元原木市場に出荷されます。京都府下唯一の国産材専門市場である(株)北桑木材センターでは、毎月3回の競り市が開催され、京都府近隣を中心に全国へ出荷されます。

京北地域では、優れた育林技術を生かして年間約50,000本の床柱、約5,000本の桁丸太を生産しています。 高級建築材料として有名な「北山磨丸太」は、木肌表面にもともと凹凸や絞り模様の入った天然絞り丸太と、人工的に模様をつける人造絞り丸太に大別されます。人造絞り丸太は、「ハシ」と呼ばれる当て木を杉の木の幹に針金で巻きつけ、1年~2年、ものによっては数年間かけて杉の成長によって絞り模様がつくられます。 約40ほどの加工業者によって、丁寧に磨き上げ、仕上げられた製品は、主に京北町銘木生産協同組合の市場で競り市にかけられます。