桂・大原野エリア、日本京都観光ルート

桂エリア、平安時代、歴代天皇の遊覧地だった桂川が流れる地、桂離宮と古い町並みが歴史ロマンの旅へと誘う。京都盆地の西南部を貫流し、淀川にそそぐ京都最大の河川の一つ、全長114キロの桂川。986年(寛和2年)、一条天皇がこの川で舟遊びをするなど、平安時代は歴代天皇の遊覧地でした。その桂川沿いにあるのが桂離宮。智仁親王が造営に着手し、智忠親王の代にほぼ完成した別荘です。離宮建築の技法と日本庭園美の集大成を感じられるスポットです。桂離宮から西南の方向にある旧山陰街道沿いは「西京樫原界わい景観整備地区」に指定された場所。かつて大名の宿舎となる本陣が置かれ、旅館や店舗も軒をつらねていました。その繁栄ぶりは、現在の街並みからもよみ取れます。

大原野エリア、紫式部が崇めた大原野神社、在原業平が隠棲した十輪寺のほか、「石の寺」「花の寺」も。寺社を巡り、この地の魅力に触れてみよう。京都盆地の西端、小塩山の麓に広がる大原野。歴史・文化や豊かな自然を有するこの地では、さまざまな由緒を持つ寺社を巡ることでその魅力の一端を体感できます。「石の寺」と呼ばれる正法寺では「鳥獣の石庭」を眺めたり、「花の寺」と呼ばれる勝持寺では春には「西行桜」をはじめ、多数の桜を鑑賞したり。歌人にゆかりの深い場所もあり、紫式部が氏神と崇めた大原野神社や、在原業平が隠棲したと伝わる十輪寺に立ち寄ることもできます。少し足を伸ばせば国指定天然記念物の遊龍の松が見事な善峯寺や、本堂前からの眺望が良い三鈷寺も。歴史探訪を満喫できるエリアです。

西京区は、京都市を構成する11区のひとつ。桂川以西の西京区と、乙訓郡(向日市・長岡京市を含む)をあわせて、西山ともよばれる。京都市の西南部に位置し,京都の西の玄関口としての役割を担っている西京区は,昭和51年10月に,桂川を境界線として,右京区から分区して誕生しました。京都を代表する河川である桂川が区の東部をゆったりと流れ,西部には嵐山,小塩山などの西山連峰を有する,水と緑,自然が豊かな行政区で,区域の東側は右京区,南区,西側は亀岡市,大阪府高槻市,南側は向日市,長岡京市,大阪府三島郡島本町と接しています。

桂駅は、京都府京都市西京区川島北裏町にある阪急電鉄の駅。阪急京都本線と嵐山線の2路線が乗り入れ、このうち嵐山線は当駅を起点とする。京とれいんを含めた全営業列車が停車する。駅番号はHK-81。 東西共に住宅街が広がり、駅前にバスターミナルが整備されている。 駅南側で線路と府道142号沓掛西大路五条線(旧・山陰街道)が交差する川岡踏切などは両側を道路に挟まれている。

MEW阪急桂は、桂駅と直結している商業施設である。駅の東側に建つ駅ビルは「イースト」、駅の改札口とを結ぶペデストリアンデッキに入居している店舗群は「ウエスト」というゾーン名で区分されている。イーストには京都市証明書発行センター、有料駐輪場のほか、ブックファースト、マツモトキヨシなどが出店し、ウエストには菓匠 千鳥屋、阪急ハウジングプラザ桂などが出店している。その他にも駅に付随するテナントして、アズナスエクスプレス、花屋、菓子屋、総菜店、宝くじ売り場がある。駐輪場については駅周辺にも京都市営の施設が数箇所にある。

大原野神社
大原野神社は、京都府京都市西京区大原野にある神社。二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 奈良の春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、「京春日(きょうかすが)」の別称がある。その春日大社、京都の吉田神社と並んで、「藤原氏の氏神三社」のひとつに数えられる。 京都盆地の西縁、西山山地の一峰にあたる小塩山の麓に広がる大原野の地に鎮座する。

平安京以前に由緒をもつ古社で、延暦3年(784年)に桓武天皇が長岡京へ遷都した際、皇后の藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請して、しばしば鷹狩を行っていた大原野に祀ったのに始まる。その最初の鎮座地については諸説あり、延喜式神名帳に記載される入野神社(大原野上羽町)が有力とされる。 嘉祥3年(850年)、藤原冬嗣を祖父に持つ文徳天皇が現社地に社殿を造営。貞観3年(861年)以降皇后の参拝が再々あり、また円融天皇、一条天皇が度々行幸されるなど、藤原氏のみならず朝廷からも特別な崇敬をうけ、平安時代に二十二社に列した。

室町時代末の戦乱で社領を減らし、応仁の乱後はその祭祀も中絶したが、江戸時代の後水尾上皇のころより復興、幕末の慶応元年に至って官祭も復興され、明治4年に官幣中社に列せられた。藤原氏の家に女の子が生まれると、その子が皇后・中宮になれるようにと当社に祈願し、祈願通りになると行列を整えて当社に参詣することが通例となっていた。貞観18年(876年)、清和天皇の女御となった藤原高子(二条の后)が当社に参詣した際、右近衛権中将で高子のかつての恋人であった在原業平がその行幸につき従い、「大原や小塩の山もけふこそは 神世のことも思出づらめ」と詠んだ。

西京極総合運動公園
都市公園法に基づく市営総合運動場として1930年(昭和5年)着工、12年かけて1942年(昭和17年)に完成。たけびしスタジアム京都(陸上競技場兼球技場)、わかさスタジアム京都(野球場)などで、陸上競技、野球、各球技等の競技ができ、昭和63年の京都国体や全国身体障害者スポーツ大会では主会場となり、全国高校駅伝、全国都道府県対抗女子駅伝など全国規模の大会やJリーグの試合なども行われている。また、2002年(平成14年)には、公園南側を拡張し、京都アクアリーナ(国際規模の競技大会や健康増進の場として利用できるプール、アイススケートリンク、フィットネスルーム、アーチェリー場)をオープンし、市民の手軽なスポーツ、散策の場として広く利用されている。総面積18万0857平方メートル。

桂坂野鳥遊園
「桂坂野鳥遊園」は、約8万3千坪の敷地の中に野鳥たちの聖域である「バードサンクチュアリ」ゾーンと、3つのルートの“鳥と遊ぶ道”が設けられた「裏山」ゾーンからなっています。観察小屋の「観鳥楼」には、野鳥の木彫りやパネルが展示され、座って窓越しに双眼鏡で目の前の「野鳥たちの聖域」にやってくる野鳥の観察ができます。また、併設の「ものづくり体験館」では、自然観察や自然の素材を生かしてものづくり体験をすることができます。

京都市西文化会館ウエスティ
西部地域における文化活動の拠点として、音楽、演劇、舞踊等の公演その他の文化的な催物及び講習、研修、会議等に利用できる施設で、西文化会館ウエスティは、京都市で3番目の地域文化会館として平成5年8月に開館。

京都市洛西竹林公園 竹の資料館
園内に建てられた和風仕上げの竹の資料館は、展示室、茶室「竹風軒」を備え、テラスからは生態園が一望できる。展示室には、「エジソン」が1882年にマダケをフィラメントとして作った電球の復元模型を始め、茶筅や剣道用竹刀、尺八など竹に関する資料が数多く展示されている。また、竹製品等も販売している。生態園(5000㎡)は回遊式庭園で、各地から110種におよぶ竹・笹が集められ、竹林美の自然観賞と竹の生態が観察できる。

名所・旧跡

桂離宮
桂離宮は、京都市西京区桂にある皇室関連施設。江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。総面積は付属地を含め約6万9千平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)に宮内省所管となってからで、それ以前は「桂別業」などと呼ばれていた。江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の朝廷文化の粋を今に伝えている。回遊式の庭園は日本庭園の傑作とされる。また、建築物のうち書院は書院造を基調に数寄屋風を採り入れている。庭園には茶屋が配されている。現在は宮内庁京都事務所により管理されている。創建以来火災に遭うこともなく、ほぼ完全に創建当時の姿を今日に伝えている。昭和39年(1964年)に農地7千平方メートルを買い上げ景観保持の備えにも万全を期している。

桂離宮は京都市の西郊、桂川西岸の旧・下桂村に位置する。ここは桂川とかつての山陰道(丹波街道)が交わる、交通の要衝であった。川と道の交点にはかつては「桂の渡し」があり、現在は桂大橋が架かる。1615年(元和元)智仁親王(初代八条宮)が造営に着手。約47年後の智忠親王(2代)の代にほぼ完成した別荘。約6万9400平方メートルの敷地に、古書院、中書院、新御殿を主に、池のまわりに書院、茶亭を配し、庭と建築の構成、融合が見事。離宮建築最高の技法と、日本庭園美の集大成といわれる。

桂の地は、古くから貴族の別荘地として知られ、平安時代には藤原道長の別荘(当時は「別業」といった)である桂殿が営まれていたという。また、『源氏物語』「松風」帖に登場する光源氏の「桂殿」はこの地にあったという設定である。物語に登場する冷泉帝は「月のすむ川のをちなる里なれば桂の影はのどけかるらむ」という歌を詠んでいる。この地は風流な観月の名所としても知られていた。桂離宮の近くの西京区松室には月読神社があり、桂の地名も中国語の「月桂」の故事から来ているという。こうした地にある桂離宮には、観月のための装置という意味合いがある。それとともに、池での舟遊び、庭に点在する茶屋を用いての茶会、酒宴など、さまざまな遊興や行事の場としての機能があり、単なる鑑賞のための庭ではなかった。

桂離宮は最古の回遊式庭園として知られ、庭園と建物が一体となって、日本的な美を形成している。ブルーノ・タウト、ヴァルター・グロピウスといった、外国の建築家も桂離宮を、簡素さの中に美と深い精神性を表した建築及び庭園として高く評価した。作庭者については、古くから小堀遠州とする伝承があるが、遠州自身が作庭を直接差配したとは考えがたい。実際に作庭に携わった可能性のある人物としては、遠州の義弟である中沼左京、遠州の門下である玉淵坊などの名前が挙げられている。昭和8年(1933年)に来日したドイツの建築家ブルーノ・タウトは桂離宮の簡素な美を絶賛し、その知名度を国際的に高めたことで知られる。タウトは昭和8年5月と翌昭和9年(1934年)5月に桂離宮を拝観し、その折の所感を著作に記している。古書院の広縁から張り出した竹縁(月見台)から庭園を鑑賞したタウトは、その時の感興を「ここに繰りひろげられている美は理解を絶する美、すなわち偉大な芸術のもつ美である。すぐれた芸術品に接するとき、涙はおのずから眼に溢れる」と表現した。

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大原野神社 
大原野神社は、京都府京都市西京区大原野にある神社。二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 奈良の春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、「京春日」の別称がある。その春日大社、京都の吉田神社と並んで、「藤原氏の氏神三社」のひとつに数えられる。瀬和井は、名水の一つ。参道途中にある。「伊勢物語」「古今和歌集」に詠われた。

善峯寺庭園
善峯寺の境内地は約三万坪あり、四季折々の花を楽しむことができる。春は桜、夏はあじさい、秋は秋明菊。11月からの紅葉が特に美しい。境内からの眺望は京都随一で、開山堂・釈迦堂・薬師堂からは京都市内を望むことができる。坐禅石は、善峯寺。源算上人が開山する祭に、魔障が現れ、源算上人は、この岩の上で坐禅をして魔障を退散させたという。山麓から仁王門に至る参道の山道中程、南側にある。遊龍の松は、善峯寺境内にあるマツ科の五葉松。境内多宝塔と経堂の前に広がる。「遊龍の松」とは、幹が左右に長く伸び、龍のように見えるところから言う。ここの遊龍の松は、高さはわずか2~3mだが、左右に伸びた幹は37m以上にもなっている。昔から有名で、大田垣蓮月が「世々を経て光いやます善峯のその玉松のむかしをぞ思ふ」とよんでいる。国の天然記念物に指定。

勝持寺 
勝持寺は、京都市西京区大原野南春日町にある天台宗の寺院。山号は小塩山。本尊は薬師如来。花の寺として知られる。西国薬師四十九霊場第42番札所。鏡石は、不動堂の前にあり、その傍らには「西行姿見ノ池」という小池がある。鏡石は光沢があり、西行が剃髪に用いたものと伝える。天台宗。

西芳寺庭園
西芳寺(苔寺)の庭園は、豪快な三段構成の枯滝石組も、大和絵のような池泉廻遊式の庭園も、すべてが百余種を越える緑苔で覆われた幻想的な静寂の世界。影向石は、庭内にあり、松尾明神降臨の地という。一説に夢窓疎石の説法を松尾明神が岩上に坐して聞いたという。注連縄が張られている。

樫原札の辻 三士殉難の地
この樫原の地は、江戸時代には交通の要衝として、本陣や旅宿が設けられていたところである。元治元年(1864)7月19日の蛤御門の変で、長州藩は、会津・薩摩の両藩を中心とした連合軍に敗れて多くの兵士が捕殺された。この時、長州勢に属していた3名の兵士(楳本直政、相良頼光・新八郎兄弟)が、この地まで逃れて来たが、幕命によりこの辻を警備していた小浜藩兵に囲まれ討たれて果てた。遺体は、放置されていたが、村人たちによってこの丘の中腹に手厚く葬られ、墓標が建てられた。

福西古墳7号墳及び10号墳
福西古墳群は、6世紀末から7世紀前半にかけて築造された群集墳で現在までに30基以上が確認されている。洛西ニュータウンの造成に際して11基が発掘調査され、そのうちの7号墳と10号墳の2基が整備されて福西遺跡公園の一画に保存されている。この古墳の主体部は縄文時代の遺物包含層を切って造られており、古墳を含む下層は、縄文時代の遺物包含層となっている。京都市登録史跡。

蓮生塔
鎌倉時代初期の下野国(現栃木県)の有力御家人で政争をさけ出家し法然上人らに仕えた宇都宮頼綱(法名蓮生)の供養塔である。蓮生はここ下津林に寺を建てて住した。これが蓮生寺の起こりである。蓮生は歌人としても有名で藤原定家と親交を結び、有名な「小倉百人一首」も蓮生の撰と伝えられている。正元元年(1259)11月12日に没した。年88才と伝えられる。東方下津林鎮守五社神社境内には「暦応2年願主蓮生」(北朝年号1339年)の銘の入った石燈籠が立っている。豊臣秀吉がしきりに所望したと伝えられる名品である。

十輪寺の大樟
十輪寺境内の本堂前方にあるクスノキ科のクスノキ。又、なりひら紅葉もある。又中庭には樹齢約200年の枝垂れ桜、通称「なりひら桜」がらんまんとさきほこる。庭園は江戸時代の作三方普感の庭があり業平ご殿には王朝襖絵を復元して雅びである。右大臣藤原常雅公好みの茶室があり、はなやかな風情が特色である。本堂の屋根は鳳輦型と言うおみこしの型をした珍しい建物である。

樫原廃寺跡
古代寺院の遺跡。1967年(昭和42)宅地造成に際し発掘調査を行った結果その遺構がわかる。寺名不詳で土地名を冠し樫原廃寺とよぶ。遺構の中心は八角形の瓦積基壇をもつ塔。四天王寺式伽藍で出土瓦などから白鳳期建立と推定。寺跡が整理され、史跡公園になっている。市バス史跡公園前徒歩5分

地蔵院庭園
1367年(貞治6)に室町幕府管領の細川頼之が宗鏡禅師を招いて建立した臨済禅の寺院。勧請開山は夢窓国師、本尊は地蔵菩薩である。一休禅師が幼少時を過ごした寺でもある。境内が広く竹林で覆われていることから竹の寺とも称される。本堂には、地蔵菩薩の他に、夢窓国師、宗鏡禅師、頼之公の木像が安置されている。本堂北の方丈には平庭式枯山水庭園があり、羅漢に見立てられた16個の自然石が配されている。竹林以外は、境内一円鮮やかな苔に覆われている。楓が多いため、春は新緑、秋は紅葉が美しい。折々に、侘助椿や山茶花などが彩りを添える。本堂南には宗鏡禅師、頼之公の墓所がある。また、細川護熙元首相筆の襖絵である瀟湘八景図も見どころである。境内一円は京都市の文化財環境保全地区に指定されている。

正法寺庭園
西京区大原野の正法寺の池の側には樹齢80年の見事な紅枝垂桜。室生殿前に広がる石庭には全国各地から収集し、動物の形に見立てた石が配されている。

美術館・博物館

善峯寺 文殊寺宝館
重要文化財の大元帥明王軸をはじめ、仏像・絵画工芸品や徳川五代将軍綱吉生母桂昌院ゆかりの品など約1,200点より約120点を(平成29年春期特別公開  4月1日~16日、4、5、6月土日祝 秋期特別公開 10、11月土・日・祝、11月11日~12月3日まで)展示している。

京都市立芸術大学芸術資料館
収蔵品は芸術資料約4,300件。美術工芸学校以来の卒業作品(日本画・図案等)および参考品(日本画・洋画・東洋画・模本・版画・陶磁器・染織・民族資料・土佐派絵画資料・田村宗立旧蔵粉本等)に分類される。卒業作品には土田麦僊や村上華岳といった京都の近代美術に深く関わった画家達の作品が含まれている。また、絵画教育の資料とされた模本や教員手本画は、学校という組織の中でしか収集しえない興味深い資料となっている。収蔵品は、年150日程度開催する収蔵品展によって、広く一般に公開されている。

田畑らんぷ館
庭火から始まったあかりの歴史、庶民の暮らしの中で使われてきた各種灯火具を中心に江戸時代から昭和初期頃までの灯火具の移り変わりをわかりやすく展示している。珍しいものに東大寺二月堂のお水取り大松明、花火筒などを展示している。さらに時間をさかのぼって、火縄や火打石など、先祖たちの生活を偲ばせる品もあり、照明具の変遷がわかる。

行事・祭典

業平忌
大般若経転読会
御田刈祭
塩竈清祭
声明と三弦を聞く会
薬師盆
全国高等学校駅伝競走大会
全国都道府県対抗女子駅伝大会
大原野神社例祭
八朔祭法楽会・久世六斎念仏

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