高雄エリア、日本京都観光ルート

北山杉が美しい周山街道から、三尾へ、紅葉の名所としても名高い神護寺、西明寺、高山寺を歩いて巡る。右京区のまちなかから国道162号、周山街道を進むと、徐々に周りの風景が変化してきます。住宅が立ち並ぶ様子に変わって目に飛び込んでくるのは、北山杉が美しい雄大な山々。間近に感じる自然を楽しんでいると、ほどなく高雄に到着します。このあたりは、古くから“三尾”と呼ばれる地域。高雄・槇尾・栂尾の総称で、それぞれに神護寺・西明寺・高山寺というお寺があり、徒歩で回れるのでハイキングがてら歩く人も多く見られます。青もみじ、山つつじ、ホタルに紅葉と、それぞれの季節の魅力を味わえるエリアです。

高雄は、京都府京都市右京区梅ヶ畑の地名である。正確には京都市右京区梅ヶ畑高雄町。 高尾とも記し、近隣の槙尾、栂尾とあわせて三尾と並び称される。大日本帝国海軍の軍艦の艦名として度々採用されたほか、台湾の高雄市の地名の由来にもなった。 神護寺があり、紅葉の名所として有名である。 高雄山ふもとの渓谷には清滝川が流れ、周辺の料理旅館では高雄の川床を楽しめる。

神護寺
神護寺は、京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺迹本山の寺院。山号を高雄山と号する。本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂である。 京都市街の北西、愛宕山(924メートル)山系の高雄山の中腹に位置する山岳寺院で、紅葉の名所として知られる。清滝川に架かる高雄橋から長い参道を歩いた先の山中に金堂、多宝塔、大師堂などの堂宇が建つ。神護寺は空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時住した寺であり、最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、日本仏教史上重要な寺院である。

真言宗の古刹。もとは和気氏の氏寺。809年(大同4)から14年間空海(弘法大師)が住持、その後、荒廃したが、平安末期、文覚上人が再興。国宝の薬師如来像をはじめ平安、鎌倉時代の仏像、絵画、書跡などが多く残る。梵鐘(国宝)は日本三名鐘の一つ。紅葉の名所。

寺号は詳しくは「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と称する。寺の根本史料である「神護寺略記」や国宝の「文覚上人四十五箇条起請文」などにももっぱら「神護寺」とあり、寺の入口の楼門に架かる板札にも「神護寺」とあることなどから、本項でも「神護寺」の表記を用いる。

絹本著色伝源頼朝像は、神護寺にある鎌倉時代作の国宝絵画。鎌倉幕府初代将軍源頼朝の肖像画で、藤原隆信筆と伝える。しゃくを手に剣を帯し束帯をつけた公卿姿坐像で、覇気と気品に満ち、内面描写に優れた肖像画。梵鐘は、神護寺にある平安時代鋳造の国宝工芸品。高さ1.47m、口径80.3cmの銅製の鐘。古来「三絶の鐘」と呼ばれている。鐘身に鋳出された銘文は橘広相が序詞をつくり、菅原是善が銘を選び、藤原敏行が書いたもの。

西明寺
西明寺は、京都市右京区にある真言宗大覚寺派の寺院。山号は槇尾山、本尊は釈迦如来。 京都市街の北西、周山街道から清滝川を渡った対岸の山腹に位置する。周山街道沿いの高雄山神護寺、栂尾山高山寺とともに三尾の名刹として知られる。天長年間(824~834)空海の弟子智泉が開創。平等心王院ともいう。現在の伽藍は1700年(元禄13)桂昌院の帰依により再建。本尊釈迦如来像(重文)は高さ51センチの小像で、仏師運慶によって彫られている。脇陣に安置されている千手観音像(重文)は平安時代に彫られ、繊細な顔立ちをした立像である。真言宗。紅葉の名所。

寺伝によれば、天長年間(824年~834年)に空海(弘法大師)の高弟 智泉大徳が神護寺の別院として創建したと伝える。その後荒廃したが、建治年間(1175年~1178年)に和泉国槙尾山寺の我宝自性上人が中興し、本堂、経蔵、宝塔、鎮守等が建てられた。 正応3年(1290年)神護寺より独立した。永禄年間(1558 – 1570年)の兵火により堂塔は焼亡し、神護寺に合併されるが、慶長7年(1602年)に明忍律師により再興された。現在の本堂は、元禄13年(1700年)徳川綱吉生母桂昌院の寄進により再建されたものと言われるが、東福門院(後水尾天皇中宮)の寄進によるとする説もある。

表門は、一間薬医門で、本堂と同じ元禄13年(1700)の造営になり、西明寺の元禄造営の一連の建造物として貴重である。本堂は、元禄13年(1700)に五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の寄進により再建された。桁行七間、梁行四間で、内部は桁行に三分されている。中央間が内陣で、後方に四天柱を建てて逆蓮擬宝珠付きの唐様須弥壇に厨子が奉安されている。両横の脇陣が外陣の役割を果たしており、真言宗寺院の本堂としては特異な平面である点に特色がみられる。

正面入口の梁上に「霊山鷲心」の額が掲げられている。釈迦如来像は、本堂正面の須弥壇上の厨子内に安置されている本尊で、鎌倉時代に仏師運慶によって彫られた立像である。清涼寺式釈迦如来像で生前の釈迦如来の面影を伝えていると云われており、重要文化財となっている。釈迦如来は二千五百年前に印度国に生まれ、仏教を創設された。その教えは、「万物は因、縁、果の法に従う。因、縁、果の法を見る時、正智を生ずる。正智を生ずる時、正しい生活が行われる。正しい生活が行われる時、苦しみ、悩みから救われ、ここに平安の光明が実現する。」と説かれている。 千手観世音菩薩像は、本堂の脇陣に安置されており、平安時代に彫られ、重要文化財となっている。頭上に十面を戴き、宝冠をかぶり、合掌する真手を含め四十二手の千手観世音菩薩像である。細面で鼻筋が通った繊細な顔立ちをした立像である。慈悲の力を持って衆生の苦しみを救うと信仰されている。

高山寺
高山寺は、京都市右京区梅ヶ畑栂尾町にある寺院。栂尾は京都市街北西の山中に位置する。高山寺は山号を栂尾山と称し、宗派は真言宗系の単立である。創建は奈良時代と伝えるが、実質的な開基(創立者)は、鎌倉時代の明恵である。もともとここにあった神護寺の子院が荒廃した跡に神護寺の文覚の弟子であった明恵が入り寺としたものである。「鳥獣人物戯画」をはじめ、絵画、典籍、文書など、多くの文化財を伝える寺院として知られる。境内が国の史跡に指定されており、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

774年(宝亀5)の開創。1206(建永元)年明恵上人が後鳥羽上皇の帰依を得て高山寺として中興開山した。栄西禅師から贈られたお茶の実を栽培し、苗が宇治へと伝わったことから、お茶の発祥の地として知られる。国宝石水院は、鎌倉時代初期の寝殿造りの面影を残す貴重な遺構。鳥獣戯画4巻(国宝)など、洛西における文化財の宝庫。紅葉の名所。単立寺院。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。

高山寺のある栂尾は、紅葉の名所として知られる高雄山神護寺からさらに奥に入った山中に位置し、古代より山岳修行の適地として、小寺院が営まれていたようである。今の高山寺の地には、奈良時代から「度賀尾寺」「都賀尾坊」などと称される寺院があり、宝亀5年(774年)、光仁天皇の勅願で建立されたとの伝えもあるが、当時の実態は明らかでない。平安時代には、近隣の神護寺の別院とされ、神護寺十無尽院と称されていた。これは、神護寺本寺から離れた、隠棲修行の場所であったらしい。

石水院(五所堂)は、右京区栂尾高山寺にある鎌倉時代建築の国宝建造物。五所堂ともいい、貞応3年(1224)、後鳥羽上皇の賀茂の御学問所を賜ったものと伝えられる。単層、入母屋造の住宅風建築を、後に正面に向拝を付して拝殿風に改めた。創建以来、何度も移築と改造を繰り返し、明治22年(1889)に現在の地に移された。

平岡八幡宮
平岡八幡宮は、京都府京都市右京区梅ヶ畑宮ノ口町にある神社(八幡宮)。梅ヶ畑八幡宮とも呼ばれ梅ヶ畑一帯の産土社である。また、山城国最古の八幡宮でもある。 809年(大同4年)に神護寺の鎮守として空海が大分県の宇佐八幡宮から勧請したのが起源とされている。1407年(応永14年)の焼失後しばらく荒廃していたが、足利義満の奥方が女官とともに高雄へ紅葉狩りに訪れた際に荒れ果てた八幡宮の姿に心を痛めたことが、社殿を再建したきっかけとなったという伝承がある。

弘法大師が神護寺の守護神として自ら描いた僧形八幡神像を御神体として創建された山城国最古の八幡宮である。本殿は室町時代に焼失したが、足利義満により再建され、現建物は文政9年の修復。内陣天井は極彩色の花絵44面が描かれ、「花の天井」とよばれ、毎年、春、秋の2期公開される。境内は高雄もみじの参道と椿が有名である。

現在の本殿は1826年(文政9年)に造営されたもので、大工は上嵯峨の宗兵衛と室町の中川常右衛門藤原忠寛である。この本殿は京都市内に現存する数少ない切妻造本殿の一つであり、2000年(平成12年)に京都市の有形文化財に指定されている。本殿天井には極彩色の花卉図が44面描かれており「花の天井」と呼ばれ、更に内法長押には熨斗に包まれた梅や椿が描かれるなど装飾性の強い空間になっており、これら彩色画を描いたのは綾戸鐘次郎藤原之信である。

円覚寺
浄土宗の寺院で、山号は粟田山。本尊薬師如来。平安時代に水尾山寺のあった地。清和天皇は譲位後の元慶4年(880)3月、水尾山寺に入寺、終焉の地と定め仏堂の造営に着手したが、ほどなく病のため洛東粟田の円覚寺へ移り、同年12月4日同寺にて崩御。円覚寺は応永27年(1420)に焼失し、天皇と因縁のある水尾山寺に移され、寺号を併称するうち、円覚寺の名のみが残った。

愛宕神社
大宝年間(701~704)役小角が泰澄と共に神廟を造立したのが始まり。天応元年(781)勅命を受けた和気清麻呂が慶俊僧都と力をあわせ、王城鎮護の社として中興した。「火伏せ(防火・鎮火)」の神として信仰が厚く、全国900余社に勧請されている。例年7月31日夜から8月1日未明にかけての「千日詣」は有名。

月輪寺
愛宕山の山腹にあり、四囲の山々の雄大な景観がひろがる。781年(天応1)慶俊僧都の開創と伝え、空也上人、法然上人も登山参禅、九条兼実も度々閑居した。本堂には本尊阿弥陀如来像(重文)ほか平安時代の仏像を8体安置。天台宗。境内の‘時雨(しぐれ)桜’は親鸞が流罪になる時植えたもので、5月頃になると晴天でも葉から雫を落とすのでその名。

大龍寺
天正14年(1586)御所の鬼門守護であった烏樞沙摩明王を裏寺町四条の大龍寺へ勧請、その後昭和52年(1977)現在の地へ移転。秘仏の烏枢沙摩明王は北方守護の明王で、その烈火で一切の不浄を焼き尽くし清浄に変えるといわる。古より安産守護や腰より下の病に霊験あらたかとされ、お手洗いに護符を祀り真言を唱えれば患いなしと崇信されている。 烏樞沙摩堂正面には二代目中村鴈治郎、四代目坂田藤十郎(二代目中村扇雀)らが芸能上達を願って奉納したガタロ(河童)が祀られており、軒下の十二支絵馬目当ての参詣者も多い。

自然・風景

菖蒲谷池
右京区梅ヶ畑菖蒲谷にある人工溜池。菖蒲谷の北側に築提、湛水した南北に長い池で、面積3.2ヘクタール。寛永年間(1624-44)に角倉光長・光由がつくった灌漑用の隧道は、池の南から北嵯峨へ通じ延長190メートル。1956年(昭和31)池畔の遺跡から後期旧石器・縄文時代の石器・土器が出土。

北山杉
北山杉は日本の近畿地方、京都市北部から産する杉をいう。 磨き丸太として、室町時代から茶室や数寄屋に重用された。特に、京都市街の北西約20kmに位置する北山地方、現在の京都市北区中川を中心とする地域は、北山杉の産地として栄えた。中川地域は隣接する小野庄(現在の京都市北区小野郷)や梅ヶ畑庄(現在の京都市右京区高雄)とともに京都御所に産物を献上する「供御人」としての地位を授かって古来より磨丸太類の生産、販売を行った。日本庭園などでも見られる台杉仕立てと呼ぶ特徴的な育林方法がある。 京都府の府木に指定されている。

室町時代、中川地域の磨丸太は千利休により完成された「茶の湯」文化を支える茶室や数奇屋の建築用材として頻繁に用いられるようになった。その代表が桂離宮や修学院離宮。江戸時代から明治時代にかけて、中川地域の磨丸太は京都市内はもちろん関西一円に販売されていたらしい。

行事・祭典

例祭<平岡八幡宮>
虫払の行事
千日詣
創祀祭・お火焚き祭
椿を愛でる会
花の天井特別拝観

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