上賀茂・北山・大徳寺エリア、日本京都観光ルート

上賀茂エリア、京都最古の神社である世界遺産・賀茂別雷神社を訪ね、神官が暮らすまちの風情を感じる。賀茂川沿いに走る加茂街道を北上し、御薗橋を渡るとたどり着くのが世界遺産・賀茂別雷神社(上賀茂神社)。付近一帯に繁栄した賀茂氏が創祀した京都最古の神社です。神社周辺を散策すると、さまざまな名所や名物に出あえます。5月上旬には天然記念物に指定されたカキツバタの野生群落を観賞できる大田神社。上賀茂神社に仕える神官の住居や農家が混在するまちとして発展し、現在、「上賀茂郷界わい景観整備地区」に指定されている地域。散策の途中、この地で古くから栽培されているすぐきを使った漬物や「やきもち」といった門前菓子を購入することもできます。

北山エリア、市民が憩う鴨川沿いの半木の道を歩き、自然豊かな植物園へ、京都コンサートホールや歴彩館では芸術・文化に触れられる。春になると満開の桜の下、散歩を楽しめる市民の憩いのスポット、半木の道。鴨川河川敷に整備されたこの道を北へ歩くと、北山通の手前、右側に広大な敷地を持つ京都府立植物園が見えてきます。地下鉄北山駅からもアクセスが良く、開園は1924年(大正13年)と、公立の総合植物園としては日本で最も古い歴史を持っています。北山駅近辺は文化・芸術に触れることができる点も魅力。京都市交響楽団の本拠地でもある京都コンサートホールや、京都に関する資料が豊富に揃う京都府立京都学・歴彩館といったスポットも立ち並びます。

大徳寺エリア、地下鉄でも市バスでもアクセス便利な北大路駅、「紫野」は多くの歌に詠まれ歌枕ともなっている。烏丸通を市内中心部から北上したところにあるのが地下鉄北大路駅。バスターミナルが併設されていて、京都市北部の交通の拠点となっています。駅が商業施設とつながっているほか、近隣にも商店が立ち並び、買い物客で賑わいます。駅から北大路通を西へ行くと鎌倉時代に開創された大徳寺があります。船岡山から大徳寺にかけての紫野と呼ばれている地域は閑静な住宅街。あぶり餅が人気の今宮神社もこのエリアに。もともと紫野は、平安初期には皇室、貴族の広大な狩猟場や別荘地でもありました。

上賀茂
上賀茂は、京都市北区の鴨川(賀茂川)左岸、北山通以北、神山および賀茂川右岸の十三石山以南に至る地域の名称である。本項ではその前身の愛宕郡上賀茂村(かみがもむら)についても述べる。昭和6年(1931年)に京都市に編入される。それ以前は、愛宕郡上賀茂村であった。長く賀茂別雷神社(上賀茂神社)の神領とされてきた。 上賀茂神社は、京都市北区にある神社。

式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 大田神社は、上賀茂神社より古くからあったといわれている。大田の沢のカキツバタは国の天然記念物に指定されている。 北大路魯山人生誕地は、大田神社の南側に石碑がある(上賀茂北大路町)。2009年3月22日 魯山人の没後50年を記念し、誕生日の前日に当たる22日に除幕式があった。 大田の小径は、大田神社の北側の山の尾根を歩く散策路である。

賀茂季鷹歌碑は、場所は、大田神社南交差点を南に、一筋目の道を西に入った北側の住宅(上賀茂竹ヶ鼻町)。歌碑には春の吉野山を詠んだ歌が記され、下には紅葉の歌も記されている。 賀茂季鷹は、上賀茂社家で江戸後期の歌人。季鷹は、有栖川宮職仁親王に手ほどきを受けた後、江戸にて文人墨客と交わり、京に帰った後は上賀茂神社で神職となり、「雲錦亭」と名付けた文化サロンを主宰した。 京都市伝統的建造物群保存地区は、京都の特色ある歴史的な町並みの整備を行う区域。産寧坂地区、祇園新橋地区、嵯峨鳥居本地区と上賀茂地区が指定されている。この4地区については、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている。

北山
北山(きたやま)は京都府京都市北区北西の丹波高地に連なる山間部を指す呼称で、平安京から見て北の方角に位置することに由来する。山塊としては北区に隣接する右京区にも広がるが、室町時代に足利義満が北山南東端(鷹峯台地)の山裾に北山山荘(北山第・鹿苑寺金閣)を造営し、北山文化の中心地となったことから、現在の行政区分でも主として北区の範疇内を北山と呼ぶ。金閣寺の裏手に位置する大文字山は五山送り火の一つ「左大文字」が灯される山として知られ、住所区分も大北山で、市街地に接している。

天神川沿いに京都府道31号西陣杉坂線(鷹峯街道)を北上すると釈迦谷山一帯の大宮地区辺りから山中へと分け入るようになる。府道31号線で京見峠を越えると城山一帯の西賀茂地区となり、杉阪地区、次いで中川地区となる。杉阪では京都府道107号雲ケ畑下杉坂線と分岐、中川では国道162号(周山街道)に合流し、清滝川の中流域にもなる。国道162号の先は小野地区で国道は右京区へと移るが、清滝川を溯上すると源流域の大森地区となり、桟敷ヶ岳などを挟んで右京区京北町と接する。

一方、府道107号線の先は持越峠を挟んで真弓・雲ケ畑地区で、京北町や左京区鞍馬に接している。 また、鴨川沿いに京都府道61号京都京北線および京都府道38号京都広河原美山線(加茂街道)を北上した右岸一帯の西賀茂・北賀茂地区も北山に属するが、鴨川左岸の上賀茂(柊野など)は北山には含まれない。 これらの範囲が北山に相当し、中川・雲ケ畑・小野の三地区は「北山三村」と形容され、雲ケ畑や大森には惟喬親王隠棲伝説が伝わる。

左京区との境界に位置する京都府道61号京都京北線の大岩から東海自然歩道が延伸されている。賀茂川沿いに下り、北山麓縁辺部を進み、尺八池や光悦寺を経て一ノ坂へと分け入り、右京区との境界となる菩提谷~菩提滝~池ノ谷を抜け右京区へ至る。 なお、北山通や地下鉄烏丸線の北山駅は北山の山裾、京都盆地縁辺の平野部にあり、山域内にあるわけではない。

大徳寺
大徳寺は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある寺院で、臨済宗大徳寺派の大本山である。山号は龍宝山。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超で、正中2年(1325年)に正式に創立されている。 京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、多くの文化財を残している。なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが多い。

大徳寺の開祖である禅僧・宗峰妙超は、弘安5年(1282年)、播磨国(兵庫県)に、同国守護・赤松氏の家臣・浦上氏の子として生まれた。11歳の時、地元の大寺院である書写山圓教寺に入り、天台宗を学ぶが、のち禅宗にめざめ、鎌倉の高峰顕日、京の南浦紹明に参禅。南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るに従って宗峰も鎌倉入りし、徳治2年(1307年)に師から印可を得た。

その後数年京都東山で修行を続けていた宗峰妙超は、正和4年(1315年)ないし元応元年(1319年)に同郷の赤松円心の帰依を受け、洛北紫野の地に小堂を建立した。これが大徳寺の起源という。花園上皇は宗峰に帰依し、正中2年(1325年)に大徳寺を祈願所とする院宣を発している。寺院としての形態が整うのはこの頃からと考えられる。

観光スポット

京都府立陶板名画の庭
名画の美しさを忠実に再現し、永く保存できるように作られた8点の陶板画を展示した世界で初めての絵画庭園。(施設設計:安藤忠雄氏)庭園は、ゆるやかなスロープで地下2階まで掘り下げられ、回廊式のユニークな構造となっており、大小の滝や池による水辺と、併せて昼光のなかでの絵画鑑賞を可能にした新しい空間を提供している。(展示陶板画)「最後の晩餐」、「最後の審判」、「清明上河図」、「鳥獣人物戯画」、「睡蓮・朝」、「糸杉と星の道」、「テラスにて」、「ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後」

京都コンサートホール
京都コンサートホールは、「世界文化自由都市宣言」の理念のもと、平安建都1200年を記念して京都市が建設した音楽専用ホールです。1995年10月に開館しました。設計者は、2019年に「建築界のノーベル賞」ともいわれる「プリツカー賞」を受賞した磯崎新氏です。また、京都コンサートホールは、日本唯一の自治体直営オーケストラとして、1956年に創設された、京都市交響楽団の本拠地でもあります。

笙、篠笛等の伝統的和楽器の音色も備えた西日本最大級のパイプオルガンを配し、大編成のオーケストラと大規模な合唱団でも演奏可能な1,833席の⼤ホールと、室内楽など⼩編成での演奏会に最適な510席の小ホール(アンサンブルホールムラタ)があります。 京都市営地下鉄北⼭駅に隣接し、アクセスも良く、周辺には京都府⽴植物園、京都府⽴陶板名画の庭、京都府立京都学・歴彩館や京都府⽴⼤学といった北山文化ゾーンの一画に立地しています。

京都市北文化会館
北部地域における文化活動の拠点として、音楽、演劇、舞踊等の公演その他の文化的な催物及び講習、研修、会議等に利用できる施設で、北文化会館は、京都市で4番目の地域文化会館として平成7年4月に開館。ホールは、座席を収納してスポーツの利用もできる。

京都府立植物園
大正13年(1924)に開園し、公立の総合植物園として日本で最も古い歴史を持つ。総面積は約24万㎡で、植栽・展示植物は約1万2,000種類に及ぶ。 春はサクラやチューリップ、初夏はアジサイやハナショウブ、夏はスイレンやヒマワリ、秋はコスモス、冬はサザンカやウメなど、四季を通して多くの花々が園内を彩る。特に約160品種・450本あるサクラは人気で、満開を迎えると多くの花見客が訪れる。 紅葉の時期も同様、園内で鮮やかに染まるイロハモミジやフウ、ランシンボク、イチョウが人々を魅了している。 広大な大芝生地やばら園、植物生態園のほか、日本最大級の回遊式観覧温室では、一年を通して熱帯植物が楽しめる。 植物の観賞を通じて憩いの場、教養の場として役立つとともに、絶滅危惧植物の保全などにも寄与している

大宮交通公園
大宮交通公園は,昭和44年に開園し,多くの方々にご利用いただいてきましたが,施設の老朽化や同公園の一部に北消防署が移転することを契機とし,防災機能を強化するとともに,現在の交通問題に沿って,自転車の安全教育を中心とした,新たな交通学習施設として再整備することとなりました。

京都産業大学 神山天文台
京都産業大学 神山天文台には、国内私立大学最大の口径1.3m荒木望遠鏡があり、研究・観測のほか、一般の方を対象とした施設見学や天体観望会を行っています。 

名所・旧跡

実相院庭園
裏山を背にした池泉式庭園と表の石庭は趣を全く異とする。その2つをむすぶ通路のかえでが室内に映りこむ様子は「床もみじ」「床みどり」と呼ばれている。

補陀洛寺(小町寺) 小町姿見の井
当寺は、清原深養父が建立した補陀洛寺の名を継いだと伝え、また小野小町が「小野とはいわじ、薄(すすき)生ひたる市原野辺に住む姥ぞ…」と名乗る謡曲『通小町』や、当寺に祀られている小町像に基づいて小町寺と称されようになった。現在姿見の井は水渇れしている。姿見の井は境内東南隅に、「あなめの薄」や小野皇太后塔などもある。深草少将供養塔や小野小町供養塔は反対側の西北に位置する。天台宗。

西村家庭園
上賀茂神社の歴代社家の庭を明治20年代に西村家が所有。庭は平安後期の作で面積1300平方メートル(市指定名勝)。近くの明神川から導水、庭内の川、池をめぐらせ、古木と相まって古い社家庭園の趣きを残す。かつては‘曲水の宴’も催された。公開3月15日~12月8日。神山を形取った降臨石、神事の前に身を清めたみそぎの井戸。

上賀茂伝統的建造物群保存地区
上賀茂は、平安京の地主神である上賀茂神社を中心に、神官(社司と氏人)と農民によって門前集落が形成され、室町時代から神官の屋敷町として発展してきた。神社の境内から流れ出る明神川に沿って、「豕扠首(いのこさす)」という独特の妻飾りを持つ社家(神官の屋敷)が建ち並び、土橋、土塀、門、前庭の樹木と一体となって、社家町の歴史的景観を今に伝えている。

賀茂別雷神社の椋は、上賀茂神社境内の東南隅にあるニレ科のムクノキ。ほぼ円形の台地上にあって、周囲は高さ70cmの石積み保全がなされている。賀茂川一帯の沿岸植生として長い年代を生きた老巨樹。室戸台風にも耐え、今日京都市に残存するムクノキの健在樹としては最大級の個体。 賀茂の枝垂桜は、上賀茂神社境内にあるバラ科のシダレザクラ。一の鳥居より二の鳥居に至る、広い平開地に育ち、参道にいくらか接近する。周囲に保護柵が設けられている。昔、京都御所にあったものを奉納したと伝えられ、御所桜の名がある。 賀茂別雷神社(上賀茂神社)のいちいがしは、上賀茂神社境内にあるブナ科のイチイガシ。地上部1.5mのところから二幹にわかれ、一部根系は露出する。 賀茂社の紋幹の椎は、上賀茂神社東部渉渓園内にあるブナ科のスダシイ。付近は境内の平坦地で主幹は北西方向にやや傾き地上部5mくらいの高さで太枝5本に分岐、斜上した幹面部には蛇行状の隆起紋が著しく一部にくぼみを生じる古木である。

北大路駅(北大路バスターミナル
市営地下鉄「北大路駅」と京都市バスのバスターミナルが併設された、京都市北部の交通結節点。京都駅に匹敵するバス路線が集結しており、各方面へ移動する際の起点となる。商業施設「北大路ビブレ」とも繋がっており、買物や食事にも便利。東側を流れる高野川を越えたところには、自然豊かな府立植物園がある。

原谷苑(青山荘)
原谷苑は金閣寺から北西の山間、原谷にある桜の名所で、例年 4月上旬から下旬までと、紅葉の時期の11月下旬~12月上旬に一般公開される。 苑内のさくらは20数種類で400本以上、紅しだれ桜が咲き出し、薄墨桜、染井吉野、メインの八重紅しだれ桜、黄桜、緑桜、菊桜、郷桜などが4月下旬まで順次咲き続けます。

道風神社の榊
道風神社境内にあるツバキ科のサカキ。町はずれの山麓、渓畔にある神社境内の平地にある。道風神社は小野道風を祭神とする郷社。

大徳寺
大徳寺方丈庭園は、大徳寺方丈の前庭は広い白砂敷きで土塀に沿って石と樹木を配置。中央には勅使門。東庭には二段の刈込に沿い大小の石組で表現され、昔は鴨川、比叡山を借景にしていた。勅使門園は、大徳寺にある桃山時代建築の重要文化財建造物。東の総門を入った境内のほぼ中央に建っている。慶長造営の皇居の南門を移建したものと伝えられる。常時公開大徳寺の柏槙は、大徳寺仏殿南庭にあるビャクシン科のビャクシン(一名イブキ)。境内の仏殿南庭の平地広い空間にある。市指定天然記念物

瑞峯院庭園
瑞峯院の庭園は、重森三玲の作庭になる現代の庭。方丈前の独座庭は室町時代の手法を用いた枯山水。方丈裏庭は、キリシタン燈籠を元に十字架に七個の石の流れを配した閑眠庭。

正伝寺庭園
正伝寺の庭園は、比叡山を借景に白砂の上に石ならぬ皐月の刈込で七五三を表現した枯山水。俗に獅子の子渡しの庭とも。方丈は、もと金地院の書院。

しょうざん庭園
花薫る輪舞曲の春。流麗のごとく清き夏。彩り絢爛、くれないの秋。白粧美しき荘厳の冬。山紫水明の端、「洛北」。しょうざん四季折々の自然を満喫してください。 北山台杉と紀州青石とを贅沢に使い、梅や楓を巧みに配した北庭園は、自然と人工とが見事に調和を見せる変化に富んだ造りで、台杉の林をそぞろに歩くことができる回遊式庭園です。 庭園内には、峰玉亭、聴松庵、玉庵などの建物が点在し、3月の梅、6月のしょうぶ、11月の紅葉、冬の雪景色と四季折々の景色が楽しめます。毎年3月中旬には、「梅見の宴」6月上旬には「華しょうぶの会」を催します。

真珠庵庭園
真珠庵の庭園は、生け垣を背景に小さな石が七五三の組み合わせで配置された枯山水。玄関の飛び石も七五三の配置。露地には室町時代の四角燈籠。

龍源院庭園
龍源院の方丈北庭は青苔の中に点在する石組が印象的。方丈南庭は白砂と石組の枯山水。方丈の東には、5個の石のみで構成された簡素な壷庭「東滴壷」。

光悦寺庭園
光悦寺は本阿弥光悦晩年の居。茶室大虚庵を囲むユニークな竹垣は「光悦垣」と呼ばれる。庭園内から近くに鷹ヶ峰・鷲ヶ峰が、遠くには東山三十六峰の山並みが見渡せる。

高桐院庭園
高桐院の方丈の庭は楓の庭。四季折々に変化に富んだ風情を楽しめるが、とりわけ紅葉が美しい。松向軒は細川忠興(三斎)ゆかりの茶室。平成10年度、書院「意北軒」と「松向軒」は創建当時の趣が再現され昔の伝統と手法を残しており、拝観が出来る。

源光庵庭園
源光庵には、北山杉を配した唐風の山門がある。入母屋造りの本堂には「迷いの窓」と「悟りの窓」。角窓と丸窓で風景を切り取って見せる。本堂裏の庭園は北山を借景とし、四季を通じで趣があり、秋の紅葉の時には一段の風情がある。

圓通寺庭園
圓通寺の庭園は、杉と檜の間から比叡山を望む雄大な借景庭園。四十余の石組、生け垣、竹薮と方丈の柱、木立の織り成す縦横のラインが見事に調和。

岩倉具視幽棲旧宅
幕末~明治期の代表的な政治家である岩倉具視(文政8-明治16,1825-1883)が,佐幕派と見なされ攘夷運動の高まりの中で一時失脚して岩倉村に隠棲,当旧宅は元治元年(1864)から慶応3年(1867)までの3年間住居としたもので,昭和7年(1932)に国の史跡に指定された。また,対岳文庫は展示・収蔵施設として昭和3年(1928)に建てられ,現在も岩倉具視関係品を展示している。建物は平成19年(2007)に国の登録有形文化財となっている。

行事・祭典

紅葉と紅葉ライトアップ<京都府立植物園>
ポインセチア展<京都府立植物園>
さつき展<京都府立植物園>
桜と桜ライトアップ<京都府立植物園>
朝顔展 <京都府立植物園>
菊花展<京都府立植物園>
武射神事
曝凉<大徳寺>
賀茂曲水宴
夏越祓<上賀茂神社>
献茶祭<上賀茂神社>
大祓式<上賀茂神社>
やすらい祭
例大祭<今宮神社>
上賀茂さんやれ祭
賀茂競馬
燃灯祭
行事概要
燃灯祭
御棚会神事
石座神社の火祭り
吉野太夫花供養
紅葉音頭
梅見の宴
寶物曝涼展
西方寺六斎念仏
白馬奏覧神事
原谷苑の一般公開
大仙院 禅寺体験教室(春・夏)
志明院大祭
烏相撲
賀茂観月祭
御田植祭
今宮祭
土解祭
古溪忌
針供養
#修学旅行パスポート
賀茂御戸代能
例祭<久我神社>
上賀茂やすらい祭
笠懸神事
紀元祭
鴨川茶店