日本の彫刻の歴史は仏像彫刻がほぼ独占しています。仏像は大別すると、如来・菩薩・明王・天の4種類があり、それぞれの形式は各時代を通してだいたい決まっています。しかし、各時代の作品を比較して形の変化をていねいに見ると、各時代の表現のしかたや、各時代の人々が仏像に求めた美しさを具体的に知ることができ、また素材や技法によって表現が変化していることがわかります。

彫刻(ちょうこく)とは、木、石、土、金属などを彫り刻んで、物の像を立体的に表すこと。または、それらの表面に書画や図版などを掘り込むこと。あるいは美術的な鑑賞を目的として、様々な素材を用いて立体的に制作された芸術作品のこと。また、その表現領域を指す。以下では西洋美術の概念における、芸術作品としての彫刻(スカルプチャー、英語:sculpture)について述べる。

硬い素材を彫り刻む技法も彫刻(カーヴィング、carving)と呼び、それに対して、可塑性素材を盛りつけて形を作る技法を彫塑(モデリング、modeling)という。彫塑で作られた作品を特に塑像と呼び分けることもある。

使われる素材は、石、木、土、フェルト、石膏、紙、繊維、金属(鉄、銅など)、樹脂、ガラス、蝋など、多種にわたり、また、複数の素材を組み合わせる作品も多い。

彫刻の対象(モチーフ)は元来、人間や身近な動物など具体物であった(具象彫刻)が、20世紀になると、心象を表したもの(抽象彫刻)も多く制作されるようになった。

塑像(そぞう)は、塑造によって作成した彫像などの立体造形のこと。広義には紙粘土による作品なども含まれる。鋳造作品の原型作りは通常、塑造の手法を使って行われる。

テラコッタと異なり、焼成を行わない。日本には奈良時代前期に唐から伝来し、奈良時代後期に盛行した。心木に藁縄などを巻きつけ、粒子の荒い荒土から、細かい仕上げ土へと順次盛り上げ、箆(へら)や指で造型する。

慶派は、従来は京都の権力から疎遠であった仏師集団ならではの斬新な工夫を施した作品を多く生み出した。

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天平彫刻の伝統を受け継ぎながらも前代の様式の影響を脱し、新興勢力武士の新しい感覚にも適合し、新時代の精神を反映した力強い写実性および人間性の豊かなあらわれが彼らの作風の特色である。

彫刻では、仏像彫刻がおとろえて亭館の門扉や欄間への彫刻がさかんになった。城郭や居館の内部を飾った欄間彫刻には透し彫の手法も用いられた。また、建物外観を飾る破風にもさまざまな形態上の工夫や彫刻がほどこされた。

現実性や効用を重んじる桃山時代において、彫刻は天平文化や鎌倉文化においてみられたような独立作品には必ずしもつながらなかった。そこでは亭館の付属物としての位置づけが明瞭であって、日常生活に最も密着した彫刻作品が生まれたのである。

この展示では、日本独自の木彫技法の全盛期である平安・鎌倉時代の木彫像と、木彫に次いで多く造られた金銅仏を中心に、日本彫刻の歴史を紹介します。なお、「阿弥陀如来および両脇侍立像」は、善光寺式三尊像という鎌倉時代に流行した形式ですが、その原型は、「如来および両脇侍像」にみられる一光三尊像形式に求められる可能性があり、今回のように同時に展示するのは初めての機会となります。

東京国立博物館

東京国立博物館は、わが国の総合的な博物館として日本を中心に広く東洋諸地域にわたる文化財を収集・保管して公衆の観覧に供するとともに、これに関連する調査研究および教育普及事業等を行うことにより、貴重な国民的財産である文化財の保存および活用を図ることを目的としています。

平成19年4月1日からは、東京国立博物館の所属する独立行政法人国立博物館と独立行政法人文化財研究所が統合され「独立行政法人国立文化財機構」が発足しました。新法人のもと貴重な国民的財産である文化財の保存及び活用を、より一層効率的かつ効果的に推進していきます。