日本のバス

日本のバス(にほんのバス)は、日本におけるバス事情について述べる。なお、本項においては、旅客自動車運送事業としてのバスを述べる。バス車両の分類、構造、技術に関しては日本のバス車両を参考にされたい。

制度上の取り扱い

2006年10月以前
日本のバスとは、道路運送法の旅客自動車運送事業として行われており、国土交通省自動車交通局の管轄を受けているものを指す。なお、これらバスに関しては道路運送法の第2章の旅客自動車輸送に該で定義されている。以下に道路運送法で該当する部分を記述する。

第3条1号「一般旅客自動車運送事業(特定旅客自動車運送事業以外の旅客自動車運送事業)」
(イ)一般乗合旅客自動車運送事業(路線を定めて定期に運行する自動車により乗合旅客を運送する一般旅客自動車運送事業)
※路線バス(高速バス・定期観光バスを含む。但し、第21条・第80条の例外規定に基づき運行するものは除く)のこと。また以前の「限定乗合旅客自動車運送事業」は一般事業に統合され、そのうち限定条件を付したものとして免許が行われるようになった。
(ロ)一般貸切旅客自動車運送事業(イ及びハの旅客自動車運送事業以外の一般旅客自動車運送事業)
※貸切バス(観光バス)のこと。
※(ハ)はタクシーについての定義。
第3条2号「特定旅客自動車運送事業(特定の者の需要に応じ、一定の範囲の旅客を運送する旅客自動車運送事業)」
※特定輸送(空港場内・学校・工場など、特定の施設の利用者に限り(有償で)運送するバスで、営業用ナンバーを付けたもの)のこと。運賃は届出制となる。
一方、近年では、過疎化などの要因により、利用客が大幅に減少したためにバスが廃止され、代替として自治体が路線バスを運行する場合や、今まで交通が不便な地域へバスを新設する例が見受けられる。これらは、道路運送法の以下の条文によるものである事が多い。

第21条「一般貸切旅客自動車運送事業者は、次の場合を除き、乗合旅客の運送をしてはならない。1.災害の場合その他緊急を要するとき。2.一般乗合旅客自動車運送事業者によることが困難な場合において、国土交通大臣の許可を受けたとき。」
※21条の除外規定の許可を受け、貸切バスを路線バスとして走らせるもの。
いわゆる「貸切代替バス」で、適用する法から「21条バス」とも呼ばれる。詳しいことは、廃止代替バスを参照のこと。
第80条「自家用自動車は、有償で運送の用に供してはならない。ただし、災害のため緊急を要するとき、又は公共の福祉を確保するためやむを得ない場合であつて国土交通大臣の許可を受けたときは、この限りでない。」
※80条のただし書きの許可を受け、自家用車を路線バスとして走らせるもの。
いわゆる「自主運行バス」で、適用する法から「80条バス」とも呼ばれる。詳しいことは、廃止代替バスを参照のこと。

2006年10月以降
近年では、日本各地において21条や80条に基づくバスの設定が頻繁となり、また、4条(通常の路線バス)許可に比べて規制もゆるい事があって不公平が生じていたこともあり、これらを抜本的に見直すこととなった。この改正が2006年10月に行われ、定義が変わることとなった。

第3条1項 一般旅客自動車運送事業(特定旅客自動車運送事業以外の旅客自動車運送事業)
(イ) 一般乗合旅客自動車運送事業(乗合旅客を運送する一般旅客自動車運送事業)
(ロ) 一般貸切旅客自動車運送事業(1個の契約により国土交通省令で定める乗車定員以上の自動車を貸し切つて旅客を運送する一般旅客自動車運送事業)
(ハ) 一般乗用旅客自動車運送事業(一個の契約によりロの国土交通省令で定める乗車定員未満の自動車を貸し切つて旅客を運送する一般旅客自動車運送事業)
第3条2項 特定旅客自動車運送事業(特定の者の需要に応じ、一定の範囲の旅客を運送する旅客自動車運送事業)
第21条 一般貸切旅客自動車運送事業者及び一般乗用旅客自動車運送事業者は、次に掲げる場合に限り、乗合旅客の運送をすることができる。
1項 災害の場合その他緊急を要するとき。
2項 一般乗合旅客自動車運送事業者によることが困難な場合において、一時的な需要のために国土交通大臣の許可を受けて地域及び期間を限定して行うとき。
第78条 自家用自動車(事業用自動車以外の自動車をいう。以下同じ)は、次に掲げる場合を除き、有償で運送の用に供してはならない。
1項 災害のため緊急を要するとき。
2項 市町村(特別区を含む。以下この号において同じ)、特定非営利活動促進法(平成10年法律第7号)第2条第2項に規定する特定非営利活動法人その他国土交通省令で定める者が、次条の規定により一の市町村の区域内の住民の運送その他の国土交通省令で定める旅客の運送(以下「自家用有償旅客運送」という)を行うとき。
3項 公共の福祉を確保するためやむを得ない場合において、国土交通大臣の許可を受けて地域又は期間を限定して運送の用に供するとき。
第79条 自家用有償旅客運送を行おうとする者は、国土交通大臣の行う登録を受けなければならない。
すなわち、旧来の21条バスは原則として廃止され、すべて4条に統合される(なお、臨時的な代行輸送や1年以内の実証試験は従来どおり21条が適用される)こととなり、あいまいであった80条バスに関しては、79条で詳細な規定を行うこととなった。

歴史
黎明期
1902年(明治35年)の大阪毎日新聞、読売新聞、1903年(明治36年)の新愛知、岐阜日日新聞の記事などから、高知県高知市中新町(現在の高知市桜井町)の今政猪熊が、1902年(明治35年)3月までに大阪で製造した石油発動機車を使って、1902年(明治35年)3月頃から1903年(明治36年)7月頃まで高知~伊野間で乗合自動車を営業運行したと推察され、車両の定員などの詳細は不明ながら、これが日本で最初のバス事業であった可能性もある。

1903年(明治36年)3月、大阪で開かれた内国勧業博覧会への旅客輸送のために、梅田と天王寺を結ぶ臨時バス路線が開設された。

同年9月20日、二井商会が京都市内でのバス営業運転を始めようと試みたが初日から営業中止勧告を受け、11月21日に正式に営業を開始した。日本バス協会は日本における最初のバス事業をこの二井商会の例としており、同社の試運転の日である9月20日をバスの日と1987年(昭和62年)に定めた。ただし、使用車両は6人乗りであったため、車両的にバスと言えるのか判断が分かれる。

1905年(明治38年)2月、広島の横川から可部の間に12人乗りのバス(写真)が運行された。これを日本で最初のバスの運行とする説もある。しかし、車両の故障などの頻発、費用の不足(部品の調達のため銀貨を溶かした事もあった)もあったため、9月で営業を終了した。

初期のバス事業では様々な問題が生じた。上記の京都市で営業していた業者は、人力車組合や同市内で軌道を運営していた事業者の反発にあい、執拗な妨害工作を受けた結果、廃業せざるを得なくなってしまう。このような既存の旅客事業者との間の軋轢は各地で見られた。また、当時は道路の舗装が進んでいなかったため、バスがスペック通りの能力を発揮することが出来ず、表定速度がなかなか改善されない状況があった。しかし、車両が1台あれば運行できるという利点を持っていたため、会社の体を成していない零細な事業者や個人によるバス事業への参入は相次いでいった。

大正時代
1923年(大正12年)9月1日に大正関東地震(関東大震災)が発生すると、被災地の東京府下は鉄道軌道が寸断され、人々の日常の足が奪われることとなった。応急的な処置として、被災した東京市電の代わりに東京市電気局がT型フォードを約800台輸入し、11人乗りに改造してバス事業を開始した。このバス事業は好評を持って迎えられ、応急的なつもりであったのが恒常的な運行へと変化し、「円太郎バス」との愛称も付けられた。この東京市での成功によって全国にバス事業が広まり、また、輸入トラックを利用した貨物輸送も始まって、旅客および物流におけるモータリゼーションが到来した。

その一方、既存の鉄道や軌道に並行に走るバス路線の設定などが増え始め、それらに悪影響を及ぼすようになって来た。そこで、これら鉄軌道運営事業者がその事業者を買収する、あるいは自ら系列バス会社を立ち上げて鉄道空白地帯から自社鉄道駅までのバス路線を開設することで乗継客による自社鉄道の増収にも繋げたりと、鉄軌道事業者におけるバス事業への進出も進むようになって来た。

第二次世界大戦前
バス会社同士の競合も激しさを増していった。そのために、1933年の自動車交通事業法が整備され、一路線一事業者の原則が作られた。これによりバス事業者の統合が進んで行くが、その方向を決定づけたのが、交通統合、ならびに戦時統合である。現在、国内で路線バスを運行する事業者の多くが、これにより誕生、または企業規模が大きくなったものである。その統合形態は一ブロック一事業者という前程であった。しかし、寄り合い世帯的な統合もあれば、実態は同一資本事業者の統合・再編という例もある。そもそも統合ブロックの分け方自体に、後者の意向が反映された事例も散見される。統合パターンとしては、鉄道事業者とバス事業者を地域毎に統一するというものが多かった。しかし、バス事業者のみで鉄道事業者との統合が行われなかった例、貨物自動車事業者との統合が行われた例もある。また、戦時統合以前にバス事業者の統廃合が進んでいたために、実質戦時統合を受けなかった例(静岡県:東海自動車、長野県:川中島自動車・長野電鉄)、戦時中バス事業を一旦全面休止にすることで統合を免れた例(熊本県:熊本電気鉄道)、合併協議が不調のまま戦後を迎え、統合を果たせなかった例(高知県 土佐交通、高知県交通)もある。一つの都市に歴史ある事業者が入り乱れている場合、こうした事情がある。なお、この件については、陸上交通事業調整法の項目が詳しい。

この中で公営事業者は民営事業者を買収(秋田市や函館市の公営交通は、この時に成立)または統合することはあっても、民営事業者に統合された例は八戸市、富山市のみである。横浜市のように、ほぼ影響も受けなかったところも多い。

第二次世界大戦後から規制緩和まで
戦後、まず行われたのは統合体制の見直しであった。 大手私鉄の東京急行電鉄、近畿日本鉄道、京阪神急行電鉄の再分割は有名であるが、地方のバス会社でも、道北バス、信南交通、徳島西部交通などで実施されている。一方、統合路線の返還事例もあり、例えば、南部鉄道(現:南部バス)は、八戸市に統合した路線を返還、神奈川中央交通は江ノ島電気鉄道に2路線の返還を実施している。また、これとは別に、戦時中にバス事業だけを統合された鉄軌道事業者が、戦後、新規に再開する例(相模鉄道、上田丸子電鉄(現在の上田交通)、岡山電気軌道)も相次いだ。

このような中においても、山佐バス→広島郊外バス(現:広島交通)、広島帝産バス(現:広島バス)、東洋バス(千葉県)、内山自動車(現在の茨城急行自動車)などが新たにバス事業を開始することとなった。他に変わったところでは、大阪のタクシー事業者の沢タクシーが、鳥取県のバス事業者に進出した(現在の日本交通)。また、公営事業者も、尼崎市、伊丹市などが誕生し、それ以外にも実現しなかったものが多数あった。

戦後10年がたった1950年代後半以降は、一部の大手私鉄による観光開発などを主目的とした地方の事業者の傘下への編入が進められて行く。主な例で言えば、東京急行電鉄の北海道・信越、名古屋鉄道の東海・北陸、近畿日本鉄道の中国地方などが顕著である。この裏には、労働争議や自然災害で経営が悪化した地方の事業者が大手事業者に支援を求めた例も少なからず存在する。その中で、同一資本下になった事業者同士の合併例が生じた。東京多摩地区では、京王系列の奥多摩振興、五王自動車、高尾自動車が合併して西東京バスが、茨城県では京成系列の常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道が合併して関東鉄道が成立している。同時に、地方事業者の再編も行われ、1960年に長岡鉄道と中越自動車、栃尾電鉄が合併して越後交通、1961年に福島電気鉄道が福島県南交通を吸収し福島交通に、1964年に三州自動車が南薩鉄道を合併し、鹿児島交通が誕生した。他にこの時代において特記すべき事項は、長距離路線の開設である。この時、複数バス会社の合弁で急行バス会社が誕生している。この時期はまだバス黄金時代と呼ばれ、路線バスの乗車人員は右肩上がりであった。

しかし、1960年代後半ごろから次第にその状況は一変する。その主要因は自動車交通(自家用自動車、狭義のモータリゼーション)の発展とそれに伴う都市部の渋滞慢性化による遅延多発と、地方における過疎化である。これに伴い、実に多くの地域でバス事業者の再編やバス事業の撤退が見られる。再編の具体例として、1970年に宮城中央バス、宮城バス、仙南交通が合併して誕生した宮城交通、1976年には事業者の倒産が相次いだ岩手県における岩手県南バス、岩手中央バス、花巻バスが合併して誕生した岩手県交通があげられる。

1980年代に入ってもその減少のペースは衰えることはなく、事態はさらに深刻なものへとなっていった。特に、この急激な自動車交通の発展によるバス事業の変遷が如実に現れたのは群馬地区であり、過去に県内バス事業者の再編が行われたほか、館林市に於いてはかつて日本で唯一バス路線が存在しない市であった。

近年の状況
2002年2月の「改正道路運送法」施行で乗合バス事業の公的な規制が取り払われ(いわゆる「バス事業の規制緩和」とはこのことを指す)、事業への参入(路線毎の免許制から事業者毎の許可制へ移行)や赤字路線からの撤退(事前届出制に移行)がかなり自由になる一方、地域バスの存廃は、財政措置を含め各市町村の主体性にゆだねられることになった。法改正による現象として、主要都市を中心に貸切バス専業社や船舶、タクシー、トラック運送会社が乗合バス事業(一般乗合旅客自動車運送事業)へ新規参入して、運賃の値下げ競争が発生している路線がある。

これに対し、既存乗合バス会社では不採算路線の廃止や地域ごとの分社が行われる一方、事業そのものを中止した事業者も現れている。地域の足の確保としては、自治体によるコミュニティバス、道路運送法(旧)80条の適用を受ける白ナンバーバスでの肩代わり、乗合タクシーへの切り替えなどが各地で行われている。1990年代よりITを活用した試みとしてバスロケーションシステムが各地のバス会社で導入されている。

一方で2008年2月には北海道の沿岸バスが不採算路線を利用して北海道北部を縦断して地方交通の現状を訴えるバスツアーを企画するなど、運行を維持するために新たな試みを実施する事業者も現われている。

現況

運行形態
運行形態から見たバスの種類には、大きく分けて、路線バス(乗合バス)、貸切バス(観光バス)、特定輸送(送迎バス)がある。

路線バス
決められた経路を決められた時刻で運行し、不特定多数の輸送需要に応えるものである。

一般路線バス
都市内の輸送や住宅地・集落と最寄鉄道駅との輸送を担う。大都市部においては地下鉄網の拡充、郊外や地方においては自家用車の普及や過疎化などにより、利用客が減少し、路線の再編や地域ごとの分社化、さらには路線の廃止が行われている。 一般路線バスは4つに分類できる。

幹線系
フィーダー系(ターミナルの連絡バス路線/連節バス)
コミュニティバス系(地域バス,赤バス,ミニバス)
デマンドバス系

深夜バス
深夜時間帯の帰宅の足を確保するバスであり、通勤鉄道の終列車後にそれに沿って走らせるもの(俗に深夜急行バスと呼ばれる)と、通常の路線を走らせるもの(通常こちらを深夜バスと呼ぶ事が多い)の2種類がある。深夜急行バスは並行する鉄道よりも数倍高い割高な料金を、深夜バスは通常走る系統の2倍の運賃を取る事が普通である。

高速バス
高速道路を使って、都市間の連絡(数十~数百キロ)を行う路線バスで、昼行便と夜行便がある。なお、所管する国土交通省によった公式な定義はない。一般にこれら高速バスは、鉄道では直行しない都市を結ぶ路線も多いことや、運賃が低廉であるという理由から非常に人気が高く、路線バス事業の中でも採算がとりやすい分野である。しかしながら、大都市の事業者の一部は長距離路線から撤退したところもある。首都圏⇔京阪神など大都市間を結ぶ路線では、後述の観光バス(貸切バス)による低価格の会員制ツアーバスとの競合も見られ、路線バス側でも路線によっては低運賃の便を設定して応戦している。

空港連絡バス
都市中心部と都市から離れた 空港を結ぶ路線バスである。俗にリムジンバスとも呼ばれる。空港アクセスに鉄道が無い場合や、鉄道が存在しても乗り換えの面倒さなどからバスを利用するケースが見られ、現在では様々なところから設定されるようになってきている。

定期観光バス
駅やバスターミナルなどから運行し、観光地を順番に回るバスである。東京都内で運行されている「はとバス」が代表的なものである。見かけは観光バスに似ているが、決まった時間に決まった場所を回るため、法的には路線バスの一種とされている。

コミュニティバス
交通空白地帯の住民の足を確保するために、自治体が主体となって企画し、主に民間事業者に運行委託する形態のバスである。(自治体バス参照。)比較的安価な運賃設定、狭隘区間を含む自由な路線設定、短い間隔の停留所設定、バリアフリーで小型の車両を利用することなどが特徴とされる。最近では東京都武蔵野市の「ムーバス」が代表例、かつ成功例としても有名である。

貸切バス
チャーター(貸切)されて運行されるバス。運行経路、時刻や輸送人員は事案ごとに個別に計画される。 学校・企業・団体での行事や冠婚葬祭など多人数で移動する場合に利用される。 旅行会社が観光を主な目的とするツアーを設定する場合もこれにあたる。

使用される車両は事案ごとに異なるが、一般的には観光バスタイプの貸切専用車両が多く、近距離・少人数の場合は一般路線車やマイクロバス等が用いられることもある。

観光地を拠点とするバスの中には三重交通の伊勢志摩におけるCANばす、熊野古道バス、スペイン村バスの様に全面に観光地をイメージしたイラストが描かれている物が多い。 中には一般路線バスと共用を目的としたワンロマ車とも呼ばれる車両を持ち、車両数に余裕ある週末に設備に豪華さを求めない安価な日帰りバス旅行を設定している事業者もある(神奈川中央交通・東急バスなど)。

1990年代以降、貸切バス業者が旅行会社と組んで大都市間を結ぶ会員制ツアーバスが増えている。これは路線バスではないが、都市間を結ぶツアーを片道でも乗車可能にして企画した旅行商品であり、不特定多数の乗り合いによる移動という点で路線バス(高速バス)と類似した効果を発揮している。利用経路によっては高速路線バスより設備が劣る(その代り代金が安い)車両から路線車両をはるかに凌ぐ好居住性を誇る車両を選択できることや、路線バスと比較すると低運賃であり、競合することが多くなっている。これらツアーバスの台頭の背景には、観光バスを利用した団体旅行(社内旅行、慰安旅行など)が減少したことによる、貸切バス事業者の稼働率を高める意図があるものと推察される。

特定輸送(送迎バス)
最寄駅から工場や学校への通勤・通学輸送、ホテルや病院などへの利用客の送迎など、一定の範囲に限定された旅客の輸送に特化したもの。目的地にある会社や組織等が、事業者に委託・運用する場合が多い。なお、この「特定輸送」は道路運送法に基づくものであり、自家用車による送迎バスは該当しない。

事業者
各バス事業者の詳細についてはCategory:日本のバス事業者を参照。

日本におけるバス事業者は経営形態から見ても複雑である。ここではその観点から解説する。

事業者数
国土交通省の統計によると、乗合バス事業の事業者数は、2003年度で、民営466、公営45の、計511である (公営バス#公営バス事業者一覧も参照)。その10年前の1993年度は民営348、公営50の、計398であった。10年で2割以上増加している。こうした事業者数の増加の背景には、各バス事業者が分社化を進めたことが背景にある。乗合バス事業者を資本金の額により分類すると、資本金5,000万円以下<49.3%>、資本金1億円以下<20.5%>、資本金5億円以下<18.2%>、資本金10億円以下<3.5%>、資本金10億円以上<8.6%>となる。これに対し、貸切バス事業者の場合、資本金5,000万円以下が87.1%と大半を占めており、乗合バス事業者よりも中小企業が多いことが分かる。

保有車両30両以上の事業者で見た場合、民営バス事業者では黒字66/赤字162、公営バス事業者では黒字3/赤字25と、いずれも経常赤字の事業者が多い(2007年度)。

事業者名の表示
観光バス・路線バスともに日本語表記で車体のどこかに会社名が記されているが、これは道路運送法に基づき表記しなければならないものである。 一般的には車体の後部下方(リアタイヤの後ろ)や前後ドア間に「○○バス」などと表記されるが、北海道北見バスの路線バスのように側面は英文字表記・車体後部に日本語表記している事業者もある(観光バスタイプは通常通り後部下方にも日本語表記)。

分類
民営(株式会社、有限会社、合資会社)
日本のバス事業者の中で一般的に見られ、

バス専業事業者
鉄軌道系事業者
近年の規制緩和による異業種からの参入事業者
特に、貸切バスやタクシー、トラック運送業からの路線バス事業への参入
に分類する事ができる。

公営
地方公営企業法に定義された地方公営企業(交通局)によって運行が行われているものを指す。なお、地方公営企業でない自治体運営のバスはここには該当しない。「市民の足」という前程なので路線バスが主体で、それに貸切バスが加わる程度だが、長崎県のみ設立目的が観光輸送だったため長距離高速バスを運行している。多くは市町村が運行しているが、長崎県(長崎県営バス)と東京都(都営バス)は都道府県が運行する珍しい形態である。詳しくは公営バスを参照されたい。

地方自治体直営バス
地方自治体が運行を行う路線バス。公営交通との違いは、上記の道路運送法の第78条(旧第80条)の定義による運行であり、車輌は白ナンバー(自家用車)になることである。過疎地の路線バスが、この形態をとることが多い。なお、京都市の水尾自治会バスのように地方自治体の直営ではない78条バスもある。詳しくは、廃止代替バス、自治体バスを参考にされたい。

第三セクター
地方自治体が株式会社に出資しているケースである。鉄道では国鉄赤字ローカル線の存続方法として主に用いられた手法であるが、バスではあまり用いられてはいない。 事例としては、経営合理化による一部分社の際に、地元自治体に資本参加を求めたケースがほとんどである。このケースに該当するのは、ふらのバス(もと旭川電気軌道)、東頸バス(もと頸城自動車)、仁多交通(現在の奥出雲交通、もと一畑電気鉄道)である。また、公営交通を民営に移管した場合などで、移管先のバス事業者に地方自治体が資本参加する形で発生するケースもある。この場合、函館市営バスを引き受けた函館バスのように既存事業者に地方自治体が資本参加して第三セクター化する例と、尾道市交通局を民営化したおのみちバスのように第三セクター会社を新設する例がある。

国鉄バス
日本国有鉄道自動車局が運行していたバス。鉄道の未成線部分に路線バスを走らせたのが始まりとされている。1987年の国鉄分割民営化により、JR各社に継承された。この時本州3社は当初から分社が望ましいとされていたため、1年後の1988年、東日本旅客鉄道から、ジェイアールバス東北、ジェイアールバス関東、東海旅客鉄道からジェイアール東海バス、西日本旅客鉄道から西日本ジェイアールバス、中国ジェイアールバスが分社された。

残る三島会社(JR北海道、JR四国、JR九州)側はバス事業を本体で継続保有したが、分社化の時流はジェイアールも例外ではなく先ず、北海道旅客鉄道からジェイ・アール北海道バスが、続いて九州旅客鉄道からジェイアール九州バスが、残る四国旅客鉄道もジェイアール四国バスを分社し、全JRからバス事業は子会社化された。

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