祇園・清水寺エリア、日本京都観光ルート

祇園エリア、柳が揺れる石畳の道やお茶屋さんが立ち並ぶ花街をそぞろ歩き、祇園祭で知られる八坂神社や東山の古刹をめぐる。四条大橋を東へ渡ると、そこは祇園。「祇園甲部」「祇園東」という花街があるエリアです。柳が揺れる石畳の白川筋から辰巳橋を渡り、お茶屋さんや料理屋さんが立ち並ぶ花見小路や周辺の路地を散歩したり、芸・舞妓さん御用達の和小物店や雑貨店でショッピングを楽しんだりと花街情緒を味わえます。四条通の東端にある朱塗りの楼門で有名な八坂神社の境内を抜け、花見の名所として名高い円山公園から北へ。この辺りは国内最大級の木造二重門を持つ知恩院や日本三不動の一つ、青不動明王(国宝)を有する青蓮院もある、落ち着いた雰囲気が魅力のエリアです。

清水寺エリア、画家・竹久夢二の寓居跡の石碑がある二年坂、三年坂を歩きながら、町家と社寺によって形作られた、歴史あるまち並みを楽しむ。798年(延暦17年)創建、“清水の舞台”で有名な清水寺の界隈は坂が多い地。豊臣秀吉の正室・北政所ゆかりの高台寺から南に向かって行くと、さっそく緩やかな石畳の坂道が現れます。ここ、二年坂の中ほどには大正時代の画家・竹久夢二が過ごした寓居跡の石碑があります。二年坂から続く三年坂は、江戸時代末期から大正時代にかけて建てられた町家と八坂の塔(法観寺)をはじめとした周辺の社寺が一体となり歴史的景観を残している、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されているエリア。三年坂を登りきれば、観光客や修学旅行生でにぎわう清水坂や陶器店が立ち並ぶ五条坂に合流。清水寺はもう目の前です。

東山区(ひがしやまく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。区内には祇園や三条京阪周辺などの繁華街がある。鴨川左岸の平野部は早くから市街化されているが、東山の西麓には大規模な寺社が林立する。景観条例等の規制が比較的厳しいこともあって、他の区で見られるような山間部の住宅開発は行われていない。  東山区は,東西を東山連峰と鴨川に挟まれ,北は概ね三条通,南は十条通から稲荷山北麓付近を区域としており,区の東部は森林地域,西部は住宅地域,北部の東大路通と鴨川の間は商業地域,南部の鴨川沿いは準工業地域というように多彩な地域特色を有しています。

世界文化遺産の清水寺をはじめとする有名社寺や史跡,名勝のほか,国宝,重要文化財等が多く,また,産寧坂地区や祇園新橋地区は,伝統的建造物群保存地区に指定されるなど歴史を経た美しい町並みが保存されており,東山区各地には四季を通じて多くの観光客が訪れています。五条坂から泉涌寺付近を中心に作られる京焼・清水焼は,美術・工芸的な評価が高く,京扇子や京漆器等とともに,京都の伝統産業として全国に知られています。市内の代表的な花街である祇園や宮川町では,しっとりと華やいだ雰囲気の中,伝統文化や伝統芸能が継承され,毎年「都をどり」や「京おどり」,「祇園をどり」が開催されます。

祇園
祇園は、京都市東山区にある、京都の代表的な繁華街及び歓楽街。現在の八坂神社は明治以前は祇園社と称し、鴨川一帯までの広大な境内地を保有していたため、この界隈のことを祇園と称する(「祇園」の語源については祇園精舎を参照)。その鳥居前町は元々は四条通に面していたが、明治以降に鴨川から東大路通・八坂神社までの四条通の南北に発展した。舞妓がいることでも有名な京都有数の花街であり、地区内には南座(歌舞伎劇場)、祇園甲部歌舞練場、祇園会館などがある。現在は茶屋、料亭のほかにバーも多く、昔のおもかげは薄らいだが、格子戸の続く家並みには往時の風雅と格調がしのばれる。北部の新橋通から白川沿いの地区は国の重要伝統的建造物群保存地区として選定、南部の花見小路を挟む一帯は京都市の歴史的景観保全修景地区に指定され、伝統ある町並みの保護と活用が進んでいる。

また、四条通と東大路の交差点は「祇園」交差点である(しばしば「祇園石段下」とも言う)。交差点付近に京阪バスの祇園バス停留所がある。もと山城国愛宕郡八坂郷八坂廻り、下京区八坂廻り(昭和4年(1929年)まで)。なお、名の由来となった祇園社(感神院)は祭神の牛頭天王が祇園精舎の守護神とされていたのでこの名になった。

建物の外観や白川との位置関係から本2階建町家茶屋様式の建物が並ぶ新橋通に面する区域と、主に本2階建町家川端茶屋様式の建物が並ぶ白川沿いの区域に分けられる。 巽橋は新橋通と四条通を結ぶ路地(切り通し)の起点にある白川に架かる橋長7.5m、幅員3.1mの鋼桁橋である。橋名は辰巳大明神(辰巳神社)に由来する。1829年(文政12年)に民費で木橋が建設され、後に土橋となり、1957年に石畳で舗装され木製の高欄をもつ鋼橋になった。なお、橋からさらに西側に吉井勇の歌碑がある。

清水寺
清水寺は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号は音羽山。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三所第16番札所。本尊は十一面千手観世音菩薩。清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地として有名であり、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。また、修学旅行で多くの学生が訪れる。古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。

清水寺の宗旨は、当初は法相宗で、平安時代中期からは真言宗を兼宗していた。明治時代初期に一時真言宗醍醐派に属するが、1885年(明治18年)に法相宗に復す。1965年(昭和40年)に当時の住職大西良慶が北法相宗を立宗して法相宗から独立した。

京都市円山公園音楽堂
円山公園内にあり、音楽をはじめ各種の文化事業、慰楽事業、集会等に利用できる施設として昭和2年11月に開堂。2528名収容できる、自然環境にめぐまれた野外施設。

サムライ剣舞シアター
剣舞が一般向けに行われるようになったのは、明治時代。それまでは各剣術道場で非公開で取り組まれていたが、廃刀令が出されて、公に刀を持つことが許されなくなった武士が、興行として人々にその技を披露するようになり、舞台芸能化したのが始まり。「サムライ剣舞シアター」では、武士の精神を引き継いだ伝統芸能である剣舞の、体験レッスンやデモンストレーション鑑賞ができる。体験レッスンでは、剣舞の伝統を受け継ぐ流派の師範やインストラクターから、刀やサムライの基礎知識を伝授される。子ども用衣装や短刀が用意されているので、レッスンは5歳以上であれば誰でも体験可能。

ギオンコーナー
京舞をはじめ、狂言、雅楽、茶道、華道、箏など日本の伝統芸能を約1時間で身近に鑑賞できる施設。

円山公園
1886年(明治19)開設の市最古の公園。八坂神社の東、東山を背に約86,600㎡あり、回遊式日本庭園を中心に、料亭や茶店が散在、四季を問わず風情がある。京都随一の桜の名所で、花見時の‘祇園の夜桜’は一見の価値あり。野外音楽堂、あずまや、藤棚、便所、池泉、噴水。

名所・旧跡

清水寺庭園
清水寺成就院の庭園は、烏帽子石、籬島(まがきじま)石などの奇石を配した借景式・池泉鑑賞式庭園(現在は鑑賞式庭園)。蜻蛉(かげろう)燈籠、手毬(てまり)燈籠、誰ヶ袖(たがそで)手水鉢など、他では見られない石造の珍品も。江戸時代初期の作庭で、心字池に映る月影が見事で、「月の庭」といわれてきた。向かいの山腹は石燈篭を置き、遠近感を出す工夫が面白い。国の名勝に指定されている。

清水寺子安の塔は、清水寺の本堂から錦雲渓をへだてた丘の上にある。総丹塗り、桧皮葺の三重塔(重要文化財)で室町時代後期の再建。清水寺の塔頭で泰産寺という寺名をもつ。塔内には千手観音が安置されている。寺伝では聖武天皇・光明皇后がこの観音に祈願され、孝謙天皇を安産されたので、その報恩のため建てられたという。後世、安産祈願の信仰が生まれ子安観音とあがめられる。塔前からの清水寺全景の眺望は素晴らしく、東山の光景になくてはならない塔でもある。

祇園新橋伝統的建造物群保存地区
祇園は、祇園社の門前町として発祥し、江戸時代になると、芝居や人形浄瑠璃などの小屋が建ち並ぶようになった。当地区一帯は、祇園内六町の茶屋町として開発され、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、芸能と深く結びついて発展してきた。今も質の高い洗練された茶屋様式の町家が整然と建ち並び、美しい流れの白川、石畳、桜並木などと一体となって伝統的なたたずまいを見せている。

祇園女御塚は、平安後期、院政を開いた白河法皇(1053-1129)の愛人といわれる祇園女御の住居跡。東山区の円山音楽堂の西側に供養塔がある。懐妊中を武勲のあった平忠盛に賜り、清盛の生母になった説もあるが、下賜されたのは女御の妹とされる。八坂神社境内にこの伝説にまつわる忠盛灯籠が立つ。

産寧坂伝統的建造物群保存地区
祇園社、清水寺などの社寺が並び建つ当地区周辺は、平安京以前から開けたところで、多くの歴史的資産を有している。これらの神社仏閣の古くからの参詣路である産寧坂(三年坂)、二年坂などの石段や折れ曲がった石畳の坂道に沿って、市街地が形成された。八坂の塔、高台寺などの社寺建築物と、江戸時代末期から大正時代にかけて建てられた町家群が一体となって、すぐれた歴史的景観を今に伝えている。

知恩院
知恩院方丈庭園は、大方丈・小方丈に面した庭園(京都市指定名勝)。広い池は東山を借景とし、茂る樹々の姿を水面に映して幽寂の世界を創出。小方丈の東には知恩院所有の国宝「阿弥陀如来二十五菩薩来迎図」を皐月の低い刈込と石によって表わしており、二十五菩薩の庭と呼ばれる。江戸初期、小堀遠州と縁のある僧、玉淵と量阿弥により作庭されたと伝えられる、池泉式の庭園。

知恩院友禅苑は、友禅染の祖、宮崎友禅斎誕生300年を記念して、昭和29年に改修造園されました。東山の涌き水を配した「染糸の滝」を有する池泉式庭園と、枯山水の鹿野苑で構成され、補陀落池の中央には、高村光雲作の観音像が水面に映えるその姿は深い趣を感じさせます。また、苑内には、裏千家ゆかりの茶室「華麓庵」と、知恩院第86世中村康隆猊下白寿の記念に移築された茶室「白寿庵」があります。友禅染を生み出した友禅斎ゆかりの庭園と呼ばれるのにふさわしい、華やかな昭和の名園です。

紫雲水は、勢至堂東南隅、御廟下にある小さな池に湧く水。法然上人がご入寂のとき、聖衆が来迎し紫雲がたなびいて水面に現れ、芳香が漂ったという言い伝えが残っています。また、かかる奇瑞に感銘した一僧侶が「里水の清きなかれを汲む人は心の水ぞ澄みまさりける」なる一句を詠ぜられたとも伝承されています。奇瑞ある清水として古来から有名です。また、毎年、5~6月頃には、モリアオガエルが産卵に訪れます。

知恩院参道は、旧桜の馬場北側にあるムクロジ科のムクロジ(無患子)。ムクロジは果皮が洗濯に、また種子が念珠に用いられるなど、利用価値が高かったことから知恩院の境内が整った江戸時代元禄期に植樹されたと伝えられています。ムクロジは暖帯性で京都市は分布の北限に近いため、これほどの大木(樹高20m)になることは希で貴重。市指定天然記念物。

金地院庭園
金地院の方丈前庭は「鶴亀の庭」として有名で小堀遠州の作。禅寺としては珍しく豪快で華やか。庭いっぱいに鶴亀が向かい合う姿を表現。前面の白砂は宝船を象徴すると同時に海洋を表し、鶴島と亀島の中間に郡仙島を象る石を点在せしめ、その奥の正面崖地には蓬莱連山を表わす三尊石組を配し、来訪者の萬世を寿ぐ祝儀の庭として非常に格式の整った蓬莱式枯山水庭園である。金地院の椎は、南禅寺山内、金地院西方土塀の外側にあるブナ科のツブラシイ(コジイ)。

八坂神社 月下氷人石
南楼門南側に立つ。奇縁氷人石ともいい、表面に天保10年(1839)の建立のいきさつを、右側に「たづぬる方」、左側に「おしゆる方」と彫ってある。当時、案内板的に利用されたもの。市内現存3石中の一つ。他は誓願寺(中京区)と北野天満宮(上京区)に残る。

圓徳院庭園
圓徳院の庭園は、伏見城から移築した庭は表情豊かな数多くの石組に松や楓などの樹木を配した豪快な枯山水。石組の名手、賢庭の作とも。

青蓮院庭園
青蓮院の庭園は四つの庭で構成されており、順路の最初は室町時代の相阿弥作と伝わる庭です。この庭は龍心池を中心とした廻遊式庭園で洗心滝や跨龍橋がある。築山や大きな池が室町時代の名残を残す。次に順路を進むと江戸時代の小堀遠州作の庭がある。別名霧島の庭といい、霧島つつじの老木がある。秋にはもみじが咲きほこる。

次の庭は好文亭の前庭で江戸時代の大森有斐作と伝えられる。再建された好文亭と供に優雅なたたずまいである。最後が宸殿前の苔の庭で右近の橘、左近の桜がある。本来白砂であるがいつの頃からか苔におおわれ、現在は苔の庭として有名である。又、飛地境内の将軍塚大日堂には、枯山水の庭園をはじめ、春には桃や桜、秋には紅葉と四季を通じて美しい。

大楠は、青蓮院北門の南側東詰めにあるクスノキ科のクスノキ。青蓮院の築地塀の外側前面の傾斜地になっているが、その大土堤の中腹にはクスの大樹が北面に2本、西面に2本と宸殿前庭に1本、数百年の樹齢を保っている。天養元年(1144)天台座主、行玄による門跡寺で、その庭園は粟田山をとりいれた名園といわれ、相阿弥の作と伝えられるが、これらのクスはその作庭の時代に植えられたとも推察されている。

高台寺庭園
高台寺の東山を借景とした広大な庭は、2つの池、2つの渡廊が開山堂を中心に広がり楼閣山水の風趣。紅葉の名所として知られる。偃月池には、秀吉遺愛の観月台を配し、北に亀島、南の岬に鶴島を造り、桃山時代を代表する庭園として知られている。

大雅堂旧跡
江戸中期の南画家池大雅が妻玉瀾とともに住んでいたところ。円山公園の音楽堂南のこの地には今「大雅堂址」「和光同塵」の石碑がある。市バス祇園400メートル。

竹久夢二寓居跡
東山区桝屋町、二年坂の中ほど。大正時代の代表的な画家・詩人竹久夢二が、京都で下宿したのは1917年(大正6)2月。部屋は2階の2間。恋愛問題のもつれから東京を逃れてのこと。2ヵ月後、北の高台寺南門前へ移り、愛人彦乃と生活した。市バス清水道400メートル。

吉村寅太郎寓居跡
幕末の勤王志士吉村寅太郎が文久3年(1863)に仮ずまいをしていた場所。このあたりは、高瀬川の舟運によってにぎわい、幕末の志士たちの絶好のかくれ家となったところで、付近に武市(たけち)瑞山、佐久間象山、桂小五郎などの寓居跡があり、池田屋もほど近い。

池田屋跡
1864年(元治1)6月、池田屋騒動のあったところ。在洛の長州・土州など諸藩の討幕派が謀議中に新撰組に急襲され乱闘の結果、討幕派7人、新撰組3人が死ぬ。この事件が討幕機運を高めた。寺田屋とともに維新の史跡。当地には、新撰組をテーマにした居酒屋がある。お店の前には「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑がある。

六波羅探題府跡
鴨川の東、現松原通から五条・七条におよぶ東山区の一帯に、鎌倉幕府が設けた出先機関。1221年(承久3)北条時房・泰時が承久の乱後に始める。かつての平氏六波羅第跡にあたりこの名がある。1333年(元弘3)鎌倉幕府の滅亡で幕。六波羅蜜寺内に石碑。市バス五条坂300メートル。

将軍塚
円山公園の東の華頂山頂大日堂の境内にある円墳。直径13メートル。高さ1.8メートル。794年(延暦13)桓武天皇が平安遷都に際し王城鎮護のため、2.4メートル余の土人形に鉄の甲冑を着せ、弓矢を持たせて埋めたことが「保元物語」「平家物語」などにある。また征夷大将軍坂上田村麻呂ゆかりとする伝説もある。青蓮院飛地境内があり、青龍殿が落慶した。

木曽義仲首塚
源義朝の弟、義賢の子で、頼朝、範頼、義経兄弟とは従兄弟にあたる木曽義仲は天才的戦術によって寿永2年(1183)京都に入り、平家を追討したが、横暴甚しく、翌3年1月20日義経の軍勢に追われ、兼遠の娘巴(ともえ)を伴って瀬田に落ち、宇治川で敗れた。病のために京都に残された家来の一人が主人義仲の首をここに葬らせたといわれている。

織田有楽斎の墓
有楽斎は織田信長の弟で、長益と号した。信長の死後、剃髪し、千利休に師事して茶道の宗匠となった。晩年は祇園花見小路四条下ルに「正伝院」を再興し、そこで茶道三昧の生活を送ったが元和7年(1621)71才で没した。有楽斎の墓は正伝院の移転後も旧地に残っていたが、昭和37年秋、有楽斎夫人・息女・孫織田長好の三基とともにここに移された。現在各地に有楽流の茶道が受けつがれている。

美術館・博物館

祇園祭ぎゃらりぃ
日本の三大祭の一つ「祇園祭」について学べる展示コーナー。原寸大の鉾が設置されており、普段は見られない鉾建ての伝統技法を、間近で見学することができる。また、山鉾のミニチュアや、祇園祭の見どころを上映する屏風型の大型モニターも。アクセス抜群の場所にあり、カフェも併設されているので、街歩きの休憩にも最適。ギャラリー・ショップでは京都に関する書籍や雑貨が購入できる。

北座ぎをん思いで博物館
常設展は四条河原の賑わいの現代までを展示する。特別展は歌舞伎や舞妓、祇園にまつわる展示を期間限定で行なっている。「北座書店」(入場無料)では京の本をたくさん揃えています。

河井寛次郎記念館
大正から昭和にかけて活躍した河井寛次郎は、陶芸家、詩人、造形作家、インテリアデザイナーなど、多様な顔を持つ芸術家。昭和12年(1937)に自らが設計して建てた工房と自宅が、昭和48年(1973)から記念館として公開されている。その際、受け付けを設けるなど少し改装もされたが、記念館の大部分は河井寛次郎が家族と暮らしていた当時のままである。デザイン画、蒐集品、陶器、木彫や奔放な書など、作品も数多く展示。自宅の奥には登り窯も残されており、河井寛次郎の暮らしと仕事、両方の面影を感じることができる。

近藤悠三記念館
京都が誇る陶芸の巨匠・故近藤悠三(人間国宝)の初期から晩年の作品を展示。自然の風物を大胆な筆致で描いた作品は見る者を圧倒する。世界最大の染付大皿は見もの。近藤氏の生家後・陶房に記念館を設立。清き水の象徴である日本酒とこの地に根ざす染付を中心とした陶磁器が織りなす雅な空間をご堪能ください。柳水(1階),念々洞(2階 企画展開催時のみ開場)

幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」
幕末の動乱に殉じた坂本龍馬、中岡慎太郎ら志士約400柱の墓碑が眠る霊山のふもとにある。それら志士の遺品や遺墨や新選組、徳川幕府に関する資料も多くあり、倒幕・佐幕双方の視点から見られる維新総合資料館ともいえる。貴重な資料や大型映像で幕末の歴史を分かりやすく説明。

井伊美術館
甲冑・刀剣史学研究家である井伊達夫館長が調査のため研究寄託を受けた歴史的遺品などを所蔵者の理解を得て一般に展覧する、我国でも唯一といってよい甲冑研究考証の美術館です。資料における歴史や由緒の係わりを尊重し、その考証に力を注いでいます。毎年テーマを決めて特別展を開催しています。

金比羅絵馬館
安井金比羅宮が日本独特の絵馬保存のため開設した。江戸後期から昭和の絵馬約600点を展観。現代の文化人、芸能人らが奉納した絵馬もある。日本独特の絵馬の保存と信仰絵画としての絵馬の再発見にあたる。

何必館・京都現代美術館
京都八坂神社にほど近い、祇園・四条通北側に、昭和56年(1981)に開館した。人間は、学問でも芸術でも定説にしばられ、自由を失ってしまう。定説を「何ぞ、必ずしも」と疑う自由の精神を持ち続けたいという願いから、「何必館」と名づけられた。館内は静かな緊張感の漂う観賞空間に、優れた美術品が持つ本当の美しさを最大限引き出せるように展示、ライティングにも工夫を凝らしている。何必館の柱である村上華岳、山口薫、北大路魯山人を中心に、近・現代の絵画、工芸、写真を収蔵、展示。常設は、地階の北大路魯山人作品室。また、5階には、自然光が差し込む「光庭」がある。年数回、特別企画展も開催される。

京都祇園らんぷ美術館
八坂神社の南隣にあり、明治時代に人々の暮らしを照らし続けた日本製、外国製の石油ランプ約800点が展示されている。美術品として非常に価値のあるランプから、当時の日本の風俗が良く分かるランプまで、幅広く展示されている。石油ランプだけを数多く展示した美術館としては世界的にも珍しく、学習教材としても、役立っている。

漢検 漢字博物館・図書館
「漢検 漢字博物館・図書館」(漢字ミュージアム)は、漢字を見るだけでなく、触れる・学ぶ・楽しむ展示を通して、いくつもの驚きや発見を生み出す日本初・漢字の体験型ミュージアムです。

清水三年坂美術館
海外から里帰りしたものを中心に幕末・明治の金工、七宝、漆工、彫刻、京薩摩を常設展示する日本で初めての美術館です。シルクロードの国々から日本に伝わり完成されたこれらの技法は、この時代に頂点に達し、日本の美術品は世界を驚かせました。帝室技芸員のほか無名作家の作品も含めて、当時の高水準の作品群が一堂に見られます。

並河靖之七宝記念館
明治から大正時代の日本を代表する七宝家 並河靖之の記念館。並河家に伝わる七宝作品(国登録有形文化財)のほか、旧邸宅や工房(国登録有形文化財および京都市指定歴史的意匠建造物、景観重要建造物、歴史的風致形成建造物)、七代目小川治兵衛の手がけた庭園(京都市指定名勝)を一般に公開している。

行事・祭典

夏越しの大祓祭<地主神社>
祇園放生会
皇服茶
北政所茶会
祈年祭
大祓式<八坂神社>
若菜祭
かくれ念仏
祇園社観月祭
吉例顔見世興行
春季金比羅大祭
萩まつり
もみじ祭り<地主神社>
例祭<八坂神社>
初金比羅
神幸祭
大祓式<八坂神社>
お火焚祭
かるた始め式
敬老祭<地主神社>
櫛祭
舞楽奉納
神輿洗式
蛭子社祭
京都・東山花灯路
観音経読誦会と北法相宗仏教文化講座<清水寺>
小笠原流草鹿式奉納
えんむすび初大国祭<地主神社>
綾傘鉾稚児社参
しまい大国祭<地主神社>
晨朝法要<知恩院>
二十日ゑびす大祭
筑前琵琶でかなでる平家物語
京の夏まつり・友禅流しファンタジー
をけら詣り
空也踊躍念仏
御神楽奉納奉告祭
神輿洗式
お迎提灯
伝統芸能奉納
七夕祭
名刺感謝祭
献詠披講式
疫神社夏越祭
日和神楽
行事概要
琵琶奉納
十日ゑびす 大祭
大祓祭<地主神社>
弁財天特別祈願会
長刀鉾稚児社参
紀元祭
鴨川納涼床
芭蕉忌
青龍会
石見神楽奉納
節分祭
鴨川をどり
恋愛成就七夕祭<地主神社>
神輿渡御出発式(石段下)
こんにゃく焚き
四ツ頭茶会
初能奉納
山鉾巡行
花傘巡行
狂言奉納
行事概要
例大祭地主祭り<地主神社>
京おどり
新嘗祭
えんむすび祈願さくら祭り<地主神社>
宵宮祭
長刀鉾町御千度
節分祭<地主神社>
鴨川納涼
かにかくに祭
もみじ祭<長楽寺>
六道まいり
陶器まつり
千日詣り
粟田神社大祭
久世稚児社参
えんむすび地主祭り<地主神社>
広沢池灯籠流し
万灯会
京都五花街合同公演 「都の賑い」
還幸祭
煎茶献茶祭