旧函館区公会堂、北海道、日本

旧函館区公会堂は、北海道函館市元町にある歴史的建造物。明治時代に建設されたコロニアルスタイルの西洋館で、国の重要文化財に指定されている。

概要
函館港を見下ろす高台に建つ旧函館区公会堂は、明治43年(1910年)に建てられた左右対称のコロニアルスタイルとブルーグレーとイエローの色が特徴的な美しい建物です。

当時としては最もモダンな建物であった公会堂は、今なお基坂の下から見上げる華麗な姿から、元町のランドマークと呼ばれています。

歴史
明治40年(1907年)の大火により、町会所が焼失し、新たな集会所の建設の計画が持ち上がった際、初代相馬哲平が50,000円の寄付を申し出て、明治43年(1910年)工費58,000円余りで完成した。新たな町会所の他、商業会議所事務所、ホテル営業も構想にあったが実現しなかった。

北海道特有の木造2階建ての擬洋風建築、アメリカのコロニアル風洋館で札幌の豊平館と並んで、明治期の洋風建築として注目される。左右対称のポーチを持ち、回廊で結ぶ中央にベランダを配し、左右のポーチにもベランダを持つ。屋根は桟瓦葺きで屋根窓を持つ。ポーチの袖妻には唐草模様を配し、玄関や回廊を支えるコリント式の円柱の柱頭に洋風の装飾が配され、当時の日本人職人の洋風建築技法の習得意欲がうかがわれる。本館の延べ床面積は1,761.308平方メートル(533.73坪)、付属棟は138.815平方メートル(42.06坪)である。

工事を請け負ったのは村木甚三郎。

時代背景
幕末から明治にかけての激動期に、一躍脚光を浴びて急速に西洋化の洗礼を受けた街それが函館です。安政6年(1859)幕府は函館・長崎・横浜の三港を外国貿易港として開港しました。

開港後、函館は海外貿易開始に伴い、商業の発達、特に輸出入品の急激な増加により大いに活気を呈しまた、政治・行政の中心地として栄えました。このことにより外国人との接触の機会が増え、函館の人々は貪欲に外来知識を吸収することになります。

やがて、政治・行政の中心が札幌に移りましたが、函館は依然として活気を呈し海陸交通や内外商業の拠点として発達し、その商圏は全道に及びました。また、人口の増加も著しく、当時北海道第一の人口を有しました。この時期、レンガ造りや木造の洋風 の商家が建てられました。洋風といっても商家の場合従来の店や土蔵を元に洋風の構造や外壁を取入 れた和洋折衷の建物が多く見られました。

経済の目覚しい発展に伴い、各種商業団体や銀行もいち早く設立し、工業では、特に港湾に関連のある造船所や鉄工所等が増加しはじめました。生活基盤についてみますと、上水道の敷設、道路改良・区画の整理、また、電信電話の設備が作られ、近代都市として着実に成長して行くのです。

誕生
浜風の強い函館では、ちょっとした火の不始末でもすぐ大火になることが多く、明治時代には9回(焼失戸数500戸以上)もの火災が発生しています。

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明治40年8月(1907年)の大火では、西部市街地の殆ど全域を焼き尽くし、区民の集会所である「町会所」が失われ、会所内にあった函館商業会議所も類焼しました。明治40年9月、区民の有志が公会堂建設協議会を結成し建築費を試算したところ、約6万円となりました。

協議会では、区民に寄付を呼びかけたり、町会所の火災保険金を建設費に当てることにしたのですが、全く足りませんでした。当時の豪商初代相馬哲平に相談したところ、自分の住宅、店舗を焼失したにもかかわらず、5万円もの資金を提供してくれました。

これを基に総工費約5万8000円で工事が進められ、明治42年5月(1909年)に起工し、翌43年9月(1910年)に竣工しました。設計は函館区技手小西朝次郎、監督は函館区技手渋谷源吉、請負は村木甚三郎などの手によるものでありました。その後、翌年予定されている皇太子(後の大正天皇)の行啓に向けての工事が進められ、明治44年1911年)半ばに全てが完成しました。

建築にあたってはレンガ積み工、塗装工、左官などの多くの職人や大工、棟梁達が新しい意匠・技をフルに活用して、地方の鹿鳴館としての公会堂を見事に完成させました。

明治44年(1911年)、大正天皇が皇太子時代に来函、宿舎となった。また、大正11年(1922年)昭和天皇が摂政宮のときにも休憩している。昭和26年(1951年)3月から昭和31年(1956年)までは函館地方海難審判庁が置かれ、洞爺丸事故の海難審判の会場ともなった。昭和55年(1980年)から解体修理復元が行われ、昭和57年(1982年)当初の姿に戻った。昭和49年(1974年)に本館と附属棟の2棟が国の重要文化財に指定された。

建築デザイン

優れた建築意匠
建物の外観は華やかで、観る人の心を楽しませてくれます。下見板をやや青みがかった灰色、枠まわりを黄色にしたペイント彩色の鮮やかさが特徴です。中央のバルコニーと上部の破風(ペディメント)の形や姿、そして円柱に素朴さがあり親しみがもてます。円柱は遠くからはコリント式に見えますが、柱頭飾りや彫溝のデザインは和風色が強いようです。正面両側の破風飾りは和風の唐草模様(忍冬模様)となっています。裏面縁側のガラス引き戸を建てこんだベランダは、竣工時は濡れ縁でした。建築の主材料には蝦夷松、タモ材など地元で採れる木材が多く使われています。また、ガラス材は各サイズのものがふんだんに使われています。

調和のとれた館内意匠
館内は外観に劣らず華やかで、明治洋風建築に共通したルネッサンス風の面影をもっています。当時の洋風建築では、天井の様式や装飾が重視されており、本館でもそれぞれの部屋の格付けに合わせて色々なタイプが用いられています。灯具の中心飾には折上式と平面式があり、部屋の格付けに合わせて使われています。シャンデリアは形からアームにU字型とS字型があり、大型は5灯、小型は5灯と3灯があります。U字型は貴賓室に、S字型はその他の主要な部屋に用いられています。シャンデリアのデザインは何れもアカンサスをモチーフにしています。貴賓室を中心とする部分は、マントルピースのタイルや壁紙などアール・ヌーボに統一されています。館内装飾にはアカンサスをモチーフとした模様が多様されています。建具の装飾も洋風の中に伝統的な和風の意匠を織り込むなど多彩で、目を楽しませてくれます。

イカラ衣裳館
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豪華なドレスや燕尾服を身につけ、レトロな館内、鹿鳴館を彷彿とさせる大広間や函館港を眼下に望むバルコニーで、持参したカメラやビデオを使って記念撮影が楽しめます。

休館
このたび耐震補強を含めた大規模な保存修理工事が実施されることが決定いたしました。つきましては下記の期間が休館となりますため、皆様にはご不便とご迷惑をおかけいたしますが、ご理解いただきますようお願い申し上げます。休館期間:2018年10月1日~2021年4月頃(予定)