安土桃山文化、武士の芸術、東京国立博物館

桃山文化(ももやまぶんか)または安土桃山文化(あづちももやまぶんか)は、織田信長と豊臣秀吉によって天下統一事業が進められていた安土桃山時代の日本の文化である。この時代、戦乱の世の終結と天下統一の気運、新興大名・豪商の出現、さかんな海外交渉などを背景とした、豪壮・華麗な文化が花ひらいた。

桃山文化は新興の武士勢力や豪商の気風や商人の経済力を反映して、仏教色の少ない現世的な文化である。安土桃山時代には、都市部において、堺の今井宗久や博多の島井宗室ら豪商と呼ばれる新興商人が成長した時代であった。その富を背景にした豪華で大掛かりな文化傾向が見られる。また信長の政策により、仏教勢力の力が中央では弱まり、仏教主義的な作品が減り、代わりに人間中心、現世的な作風が見受けられる。

絵画
桃山時代、城郭や寺院内部の壁、襖、屏風ないし天井には、金箔の地の上に青や緑の雄渾な線で彩色していく濃絵(だみえ)の手法による豪華な障壁画(障屏画)が描かれた。濃絵は、本来的には彩色絵画一般を指し、墨絵に対する語である。濃絵のなかで全面に金箔が押され「碧」すなわち青色系統で濃彩したものは、「金碧画」と称され、室町時代に端を発している。障壁画には、濃絵(金碧画)と水墨画の2種類あったが、一般に、金碧障壁画は建築内部において表座敷や客間など公的な空間で飾られ、私的空間の装飾には水墨画が愛された。

天下統一の活気あふれる時代にあっては、ことに黄金が好まれ、濃密な色彩とともに力強い絵画が求められた。城郭は新しい権威の象徴であったが、その内部にも権威が示されなくてはならず、黄金の輝きはそうした効果を発揮させるにはきわめて有効な手だてとなった。そして、金色への志向は、その豪華さが単に天下人や大名らの美意識を満足させたからばかりではなく、十分な灯火の得られない当時の座敷において相当の照明効果をもたらしたからでもあった。そこでは、花鳥風月など日本的な画題や唐獅子・竜虎など漢画(宋元画)風の画題が好まれた。金雲や金地が大画面のなかの風景を仕切り、画題となる対象を実物大に描くことで、真にせまった迫力を得ようとしたのである。

安土桃山時代から江戸時代の絵画は、永徳や探幽をはじめとする狩野派を中心に、宗達・光琳・抱一らの琳派、大雅・蕪村らの南画派、応挙・呉春を祖とする円山派・四条派、 若冲・芦雪・蕭白らの個性派の画家たちを輩出し、百花繚乱の相を呈しました。書は、江戸時代初期の三筆(信尹・光悦・昭乗)が新しい書風を打ち立て、黄檗の三筆らがもたらした中国書法が、江戸時代中期以降、唐様の書として流行しました。ここでは安土桃山時代から江戸時代に多様な展開を遂げた絵画と書跡を展示します。今回、絵画は崋山や椿山の描く迫真的な肖像画の名品や人物画を中心に、書跡は僧侶と儒者の書を展示します。

書道
絵画・連歌・能・狂言などに比較すれば、建武の新政以降の書道は概してきわめて低調だったといえる。平安時代から鎌倉時代に書かれた仮名(かな)の名筆を「古筆」と称している。

一方、室町時代にあっては、禅およびその影響を受けた書画(水墨画・禅林墨跡)が、大徳寺の一休宗純や上述した尊鎮法親王などの活動によって、茶道と深く結びつき、室町時代末葉には茶掛けとして尊ばれるようになった。いずれにせよ、その表装は宋元画と同様、贅をつくしたものになっていった。桃山時代に入ると、茶の湯の普及にともなって宗峰妙超や一休ら日本の墨跡、あるいは上述の密庵咸傑の墨跡が珍重された。その内容は、印可状、餞別語、法語、字号、問答語、古詩文など多岐にわたっている。

陶磁
安土桃山時代にあっては、施釉陶器の産地であった瀬戸窯や美濃窯を中心として、無釉焼き締め陶器の産地として発展してきた備前、信楽、丹波、伊賀の各窯、少し遅れて唐津で、この時代を代表する陶磁器がつくられた。

これは、従来の貴人による書院の茶で好まれたのが天目茶碗や青磁茶碗といった、いわゆる「唐物」であったのに対し、侘び茶の流行により、茶道が単なる遊興ではなく禅と一体化して人間形成をめざすものとなったとき、茶器もまた地味で不完全な「粗相の美」のあるものがよしとされたことによる。

茶道
茶の湯が流行し、唐物の名物茶道具が珍重された一方で、それへの反抗としてのわび茶も発達した。茶器が大名から家臣への報奨とされたり、茶会が武将と豪商を結ぶなど政治にも影響した。

漆工
蒔絵をほどこした家具調度品においても装飾性の強い作品がつくられている。秀吉の正室北政所(高台院)が草創した高台寺が所蔵する蒔絵(「高台寺蒔絵」)は桃山時代を代表する蒔絵群であり、なかでも『竹秋草蒔絵文庫』は蒔絵の工芸品として著名である。秋草表現における叙情性、画面構成のおおらかさ、平明ながら洗練されたモチーフの描写、力強さとしなやかさをあらわす描線など、高台寺蒔絵は同時代の絵画に通じる諸特徴を有し、革新性とともに強い絵画性をもっている。

高台寺にあっては、秀吉夫妻をまつる内陣や須弥壇・柱およびその周辺、建物の飾り金具、あるいはまた厨子などに対しても、黒漆に花筏や楽器を散らし、あるいはまた秋草などの図柄を表現した蒔絵がほどこされ、壮観である。

染織工
白地に紅葉・斜格子文等をあしらった辻が花染の小袖を着用している
服飾の多くを占める繊維製品は、糸を染めてから織って生地にする場合と、染めていない糸を織り上げてから生地を染める場合があるが、通常は前者を織りの作品(織物)、後者を染めの作品(染物)と称している。なお、前者を「先染め」、後者を「後染め」と称することもある。

織物では、明の織法の影響を受けた堺において、錦や唐織、金襴、紗、紋紗、金紋紗、緞子、縮緬などの制作がさかんとなったが、秀吉が京都の西陣織を保護したことから、こののち西陣が大発展を遂げた。西陣の金襴・緞子や南蛮渡来のビロード・更紗などはことのほか珍重され、武将上杉謙信が着用したといわれるビロード・マントは現存している(現在は山形県米沢市の上杉博物館に保管されている)。

安土桃山から江戸時代にかけて、人々の身の回りを飾ってきたさまざまな調度類を展示します。季節に合わせ、梅・椿や桜など早春から春に因んだ意匠の品々を通して、往時の人々の暮らしぶりに思いを馳せていただきます。

東京国立博物館

東京国立博物館は、わが国の総合的な博物館として日本を中心に広く東洋諸地域にわたる文化財を収集・保管して公衆の観覧に供するとともに、これに関連する調査研究および教育普及事業等を行うことにより、貴重な国民的財産である文化財の保存および活用を図ることを目的としています。

平成19年4月1日からは、東京国立博物館の所属する独立行政法人国立博物館と独立行政法人文化財研究所が統合され「独立行政法人国立文化財機構」が発足しました。新法人のもと貴重な国民的財産である文化財の保存及び活用を、より一層効率的かつ効果的に推進していきます。